6.28.2012

サンパウロの夜


こちらサンパウロ。

今宵は花火がバンバンバン。戦場に居るみたいで、なんだか落ち着かない。

深夜12時を過ぎて、ますます激しくなっているみたいだ。

サッカーの試合があるからだって聞いた。
アルゼンチンで、なんだかっていう大会の決勝戦を戦っているんだって。

なんでか?

アルゼンチンでやってるのに、なんで?花火、こんなに打ち上げてんだ?爆竹もハンパないよ。

爆撃されてるみたいで、おっかないよ・・・。





さてさて、

サンパウロ、旅のお宿はこちら。



神奈川県人会なのだ!!

ここ、良いよ!!とても快適です!!


支配人の、笑顔のステキなおばちゃんが、とても親切で、超感じいいです。


ドミ1泊 25レアル。
キッチン、WIFI、フリー。タオルやシャンプー石鹸も置いてあるねぇ?誰のか知らんけど、使わせていただきましょう。


住所
RUA MAJOR NEWTON FELICIANO75      VILA MARIANA

電話
11-5082-3141

つながらなかったら、家の番号(011)34247746

連絡して行かないと、お留守の事も多いみたいです。



地下鉄 Santos Imigrantes(緑ライン) 駅下車。

改札を出て、右側の出口へ。階段を上ったら、左へ歩きます。

下を走る道路と、小さい川を渡る為に橋を渡ります。

渡ったらすぐの階段を下りて、下の道へ。右へ歩きます。駐車場があります。

最初の角、スーパーTATENOを目印に、右に曲がって、

すぐに左へ曲がると公園があります。公園に来たら、右に曲がって、端っこまで歩きます。

そしたら、神奈川県人会館はすぐそこです。



すぐ前の公園は24時間ガードマンが居るそうですが・・・見かけませんねぇ。

閑静な住宅街です。夜中に帰ってきても怖い感じがしません。


そうです。夜中に帰って来たんですねぇ。サンパウロはそんなことしちゃいけないんだ、と思っていたけど、意外と大丈夫みたい。

パラグアイのイグアス移住地で出会い、ボニート、弓場農場、と再会したりんちょと、また合流。

彼女がブラジル人の友だちとお食事っていうんで、私も一緒に連れてってもらったのです。

りんちょの友だちの友だちのお誕生日会とやらに、私たちも合流したようなんだけど・・・

今まで経験したお誕生日会とは、全然違う。
誰が主役なのか不明です。誰が仲間なのかも分かりませぬ。

ケーキも無いみたいだし・・・歌もうたわないぞ。
これが本当にお誕生日会なのか?というほど普通の飲み会でした。



オシャレなお店でしょ。

オープンエアーにもかかわらず、禁煙です。お酒飲む所でも禁煙なのか!?
ブラジル、徹底しとるのぉ。(外に喫煙所が設けられておりました。)

それから、
私たち、入り口で、疑われてしまいました・・・・まさかの、18歳以下と思われた模様。

35歳と28歳ですよ!!冗談だと思います。友だちがなんか言ったら、すんなり通してくれましたので。
それにしても、徹底しとるのぉ、ブラジル。




この店、BBQ屋さんらしい。

串刺しだから、焼き鳥みたいだ。



係りの人が持って歩いてるのを取るのだ。


鶏の心臓

串1本取る度にチェックするのだ。

1本 4,5rsほどから。およそ180円なり。結構するでしょ!高いのだと400円くらいのもあったんだよなぁ。

ここ、オシャレで、高級だよ。参っちゃうね。

こんなことでもなきゃ、絶対に入ることも無かった店だな。

だいいち、こんな所まで辿り着けないや。ここ、オシャレなレストランやバーがいっぱいの通りだったんだ。

名前も知らない通りですから。

サンパウロのオシャレを体験できて、大変満足です。



そして、次の日。

昨日は、高くて、サービスも良くないお店でごめんね・・・とのことで、安くていいところに行きましょ!ということになった。

私もついて行く。


このお店、有名なんだって!!




広い店内はいくつかのコーナーに別れていた。

コンビニみたいなお買い物できるコーナーと、ケーキやパンを売ってるコーナーと、カウンター席で気軽にスナックとかピザとか食べれるコーナーとブッフェコーナーと・・・って感じかな。



日曜の夜。大混雑。いつも混んでるらしいけどね。

席待ちで30分以上並んだよね。その間、私たちは何食べよっか?って見てまわっていたから、あっという間だったけど。



ビュッフェは、スープとサラダとスイーツと、パンいろいろだね。

めっちゃ美味しそうであります。31rsおよそ1200円だよ。

お昼ご飯だったならば、迷いながらもビュッフェに挑んだことだろうと思うけどね、夜にたらふく食べても、帰って眠るだけだからよ。




おとなしく、ピザ一切れと、中にサラミのペーストみたいなのが入ったパンを食べました。




サンパウロには、安いモノはないのかも知れません・・・

このパンの夕食で400円くらいです。

400円が高いという感覚・・・・

なんだか切ないです。


有名なお店に連れてきてもらって、ウキウキだったけど、何食べよう?って財布と相談してたので、

思う存分、満喫できませんでしたとさ。



ここは、ブラジル!!サンパウロなのだ!!

今や、ニューヨークよりも物価が高いと言うではないか!!


本当ですか?


早く、ブラジルの物価に慣れないとね。

ホントに貧乏なんだから、しようが無いけど、ホントにケチケチしてたらつまらないのだ。

ガンバレわたし・・・。


深夜のメトロも怖くはないのだ。


りんちょのお陰で、楽しいサンパウロ観光の始まりです。

どうもありがとう☆

6.24.2012

土砂降りの夜に


20日間ほど滞在した弓場農場を発つ日が来た。

雨季が終わり、冬の始まりの今頃に、こんな風に雨が降るのは珍しいそうだが、

その夜は土砂降りだった。雷までゴロゴロいって嫌な天気だ。






「良いよ、良いよ!!」って聞いていた弓場農場。

20日間くらいの滞在じゃ、ナニが分かるってもんじゃないね。


「せめて、1週間は居たほうが良いよ」って言う人が居た。

あるいは、

「2週間くらいは、」「できたら、1ヶ月は・・・」という者も居た。

長く居れば、居るほどに良いのだろう。なんとなく分かる。

私は、2週間くらいして、ようやく少し慣れてきた感じがした。

おばちゃんに、てるてる坊主・・・って呼ばれて、私のことでしょうね?って思って、振り返ってた最初の頃。

他の旅行者たちと馴染めなくて、嫌な思いをしたこともあったっけ。

旅立つ日を決めた頃から、なんだか違う空気を感じ始めた。心もほぐれてきたよね。

そしたら、ホントあっという間だった。

私、なれるの遅いかな?時間かかり過ぎてるかも知れないけど、集団生活なんて大嫌いなんだから・・・

しようがないね。

いつの間にかみんな、レイカ、レイカ、って名前も覚えて呼んでくれるようになったのに、

私は、旅立つんだ。

別れの時、

どうしてこんなに寂しいんだろうね?何回やっても慣れないわ。

もう会えないって思っちゃうから かな。

過ごした日々が、美しかったから だろうか。

優しくて、温かく受け入れてくれていたもんね。

名残惜しいよ。愛しさが込み上げてくるね。

ずっとここに居られればいいのに・・・・って思っちゃうけど、そんなことはできないんだ。

いつも、いつも、そうやって、私は別の場所へ行くんだ。



降りしきる雨の中を走る夜行バスで、うとうとしながら振り返る日々・・・・

初体験もいろいろあったんだよ!!





コレ、かぼちゃ。変な形だな。




薪で料理しとるわ!!って驚いたんだよな。普通のコンロもあるけどね。



 かんぴょう作り。
種のところをくりぬいて、ちょっと厚めの帯状に剥いていくのだ。今年のは、種が多くて、捨てる所が多いらしい。(豚のえさになるよ)



かんぴょうを干してるところ



コレはレモン。いっぱい採れるね。


2,3日でこんなになったかんぴょう。天気がいい時じゃないとできない仕事。







コレは花梅っていう。


いちごみたいだね。 中は空洞になっているよ。そんで、種が入っておる。


ヘタみたいになっているところを切り抜いて、種を取る。ジャムにするのだ。生でかじってみると、
梅しば みたいな味がした。食感はしゃりしゃり 。



お次は、



生地をのばして・・・・




挽肉やら、たけのこやらが入った種を包みこむ。





揚げて、揚げて!!パステオだったけな?エンパナーダに似てるけど、ちょっと違うみたいだ。
スナックですけど、晩ご飯のメインになった。

揚げたてが出てくる!!マジ美味い!!





作業の合間に貰った、椰子の実ジュース。 そこら辺の木から落とした実。




金曜の午後は絵を描く時間。久しぶりに描いたよ。モデルは唐辛子さんです。





弓場には陶芸をやってる人も居るのだ。

誰でもみんな、好きなことをやっていいんだ!!


「弓場の為に犠牲になることはない!!自分の為に自分のやることをやれ!!自分は好きでここに居る」

こういう思想が根底に流れているんだって。






ちょうど、窯に火を入れるタイミングに当たったんだ。

1000度くらいに保ち続けなきゃならないんだってね。だから、寝ないで番をするんだって。

薪をくべて調節するの、難しそうだ。





コレはゴマの木。木って程じゃないね。なんて言うんだろう?

熟れて乾燥すると、実がはじけて飛び出すんだってね。ゴマを取る作業がしやすいように、葉っぱを全部落としたんだ。






第一アリアンサ村まで散歩に出かけた。30分位の距離。石碑がボンボン建っている、荒れた公園があった。



商店が数件あるようだ。学校もあった。

弓場のおじさんが車で通りかかったのを見つけて、一緒にビールを飲みました。

ちょっとした酒場です。



ここから十数キロ離れた第二アリアンサは、なんと!!

鳥取からの移住者が多く集まってできた という話。その為、日本語学校の先生は鳥取県から派遣されているそうだ。

残念なことに、今は、先生が居らず・・・(6月の終わりには来るとのことです)

学校やってないんだってさ。げげぇー。

なにかの時には、鳥取県知事やらも来訪するとのことで、私も表敬訪問するべきだったんだけど、

行っても、学校は閉まっているし、畑に行ったりで、人も歩いてないと思うよ・・・と言われ断念しました。

この学校の先生、なかなか来てくれる人がいないんだってさ。広き門らしいよ。

ホントは1年の任期なのに、次に来る人が見つからず、3年やったっていう先生もおったそうな。

弓場農場によく遊びに来て、飲んでいたよーだってさ。

いいね!!鳥取のみなさん、ここオススメだよ。









1日中鍬持って、新しいオクラ畑の草刈り。かなりキツかったな。

腕ぱんぱんだし、鍬を握る力も出んようになる。

移住して、奴隷のように、働いていた人たちの事を考えるとゾッとしたよ。

私たちがやってることなんて、

「あー疲れた。腕痛い・・・・」とか言って、平気で休むことができるからね。


こんなのを朝から晩まで、毎日やらなきゃならないなんて、想像したくもないわ。

ろくにモノも食べられないで、やれることじゃないよ・・・

昔のひと、よう頑張ったなぁ。1日鍬仕事して、つくづく思いました。

今ではね、

てんぷらやうどんや巻き寿司や・・・日本のご飯が好きなだけ食べられるのだよ。


食べ過ぎて、体重を増やさないようにって、思案するほどなんだから。




良い時代に生かされているのだ。

感謝しております。どうもありがとう。







取り留めの無い話になってしまった・・・

どうしよう・・・

まぁいっか。






午前6時前 サンパウロに到着。

大都会だ。

雨が上がったばかりの空。

雨のニオイもちょっと違うね。






6.23.2012

コーヒーより人を作れ


移住の歴史を遡ると、労働力としての人の移動が、室町時代にも存在していたという説がある。

それは昔すぎるから、、置いといて・・・


近代の移住の歴史は明治元年1868年に始まった。(鎖国が終わった頃だね。)

今から144年も前に、ハワイへ向けて153人が旅立ったそうな。

それから、ペルーやら、どこやらへと移住は盛んになり、

労働力不足のブラジル政府から打診され、日本人の初移民がブラジルへ渡ったのが、

1908年(明治41年) のことでした。

この移住がホント酷かったそうです。

船代は無料で、少しだけど支度金までもらえたそうで、貧しい農村部の人たちが多かったとのこと。

ブラジル人の大コーヒー農場で、奴隷のように働かされ、支払われる給料は、微々たるものでした。

農場内の売店で、割高な食料や日用品をつけで買いながら生活していたので、借金の方が多くなる始末です。

2,3年頑張れば、大金持って日本に帰れると思っていた出稼ぎの人たちの夢は、いとも簡単に踏みにじられてしまったんだね。

そんで、逃げる人多発。見つかったら死なされる覚悟で夜逃げした。実際に撃ち殺された人もいるんだよね。

移民を募集した日本政府は、そんな現実に知らん顔。

当時の日本の移住政策は、出稼ぎ労働者を送り出すだけで、送り込んだ後は一切放置する棄民政策だったてさ。


そこで!!

日本力行会の永田稠会長と、ブラジル在住のジャーナリスト輪湖俊午郎氏と、すでに移住していた農業技師の北原地価造氏が出会い、協力して、

理想の村を作ろう!!

ってことでアリアンサ村を開くに至ったのであります。

「アリアンサ」
英語で言うとアライアンス。同盟、提携、って意味だね。エンゲージリングって意味もあるらしい。

つまり、「共に手をとって」っていう村を作ろうとしたんだ。

サンパウロから600kmの奥地に、移住者の立場に立った理想を掲げ、定住を目的とした移住地を建設した。

政府や移民会社の力に頼らず、民間運動によって資金を集めた、とっても珍しい移住地なのだ!


1924年(大正13年)最初の移住者を迎えたアリアンサ。

土地の代金を支払う財力があることが条件だった為、裕福で教養のある中産階級の人たちが

入植した。ピアニストやバイオリニスト、神主に牧師、学者や医者も入植してきたらしい。

大正期のキリスト教徒が中心となって開設した村という特徴もあるそうです。

そして、

1926年  

「行け、自由の天地 南米へ」

のポスターを見た、弓場勇氏(19歳)が家族10人(両親や兄弟)を引き連れてアリアンサへやって来たのです。


希望に燃えた若き弓場勇氏は、志を抱く仲間たちと共同農場の建設にとりかかった。

1935年(昭和10年)弓場農場の始まりです。

「ブラジルの処女地に新たな文化創造を!!」という初心のもとに


「祈り、耕し、芸術する」


農場を、今もなお実現させている弓場農場。


かなりのワンマンだったという勇さん。凄いオーラ発していたそうだ。普通の人じゃないってね。もの凄く魅力的な男だったってさ。



そんな彼の理念は徹底していた。



農場員を拘束する規約は一切作らなかった。

入りたい者は誰でも入れたし、出て行きたい者を止めもしなかった。

いかなる理由からも、働かないことを咎められることもなかったそうだ。

それから、

農場では日本語を使うことが絶対だった。だから今も、4世になっても、みんな上手に日本語しゃべっているよ。

普通は、2世、3世、となってくると、日本語しゃべれなくなってくるって。。

そういう点でも弓場は特別だよね。ホント日本みたいなんだから。


そして、お金も流通させなかった。

戦争で混乱し、行き場をなくした人たちが押し寄せ、300人近くの日本人が共同生活し

ていた時も、みんなで働き、みんなでご飯を食べ、給料は無かったそうだ。



1世から4世まで60人くらいが暮らしている現在も、給料もお小遣いもない。

必要な時に貰う。ということらしいけど・・・意味分からんね。

とはいえ、外に働きに行っている人は、多少現金持ってるみたいだけどね。

とにかく個人の財産は持たないということらしい。

なかなか興味深い所でしょ。


そして、もうひとつ。弓場の弓場たる所以。

「芸術する」ということ。勇さんの初心であります。

「処女地の所有は、文化創造によってのみ許されるものである。その文化は芸術することから始まらなければならない」

勇さんはルソーやトルストイに親しみ、思想を育んでいったようだ。

「芸術による人格の解放が農を支えている」という勇さんの信念のもとに、今でも弓場農場は

芸術活動が盛んだ。

1961年に、日本から農場入りした夫婦があった。旦那さんは彫刻家で、奥さんは舞踏家。

その時にできた弓場バレエ団は、日本にも公演に行ったことがあるんだって。もちろん今も練習してたよ!!

最近は若い人が少なくなって、公演するのがちょっと難しくなってきているそうだけどね。

バレエだけじゃなくて、踊りや演劇もやっちゃうのだ!!

更には、

バイオリンやピアノやサックスや・・・弓場のみんなは、何かしらの楽器を演奏できるしね!



結婚式の弓場オーケストラの演奏だよ。

弓場には劇場がある。クリスマスや、なにかイベントの時には、この舞台で演じられるのです。



弓場農場が始まって77年。

今も変わらず、受け継がれている弓場の心。

文化を育て、人を育て続けてきた弓場農場。


弓場農場は特殊なところだと思う。

だけど、

私と同じ、ただの人間が普通に暮らしているんだ。

聖人でも君子でもない。

だから、当然問題も起こる。気に入らない人だっている。みんながみんな大好きな訳じゃないでしょ。

それでも、ひとつの家族として、共に働き、食らい、歌い、踊り、奏で、演じ・・・芸術することで、

浄化されているみたいだね。

知れば知るほどに、分からないことがたくさんになったよ。私の常識など、どんな意味があったのだろう?

弓場農場って、良いとか悪いとか、そんな事は越えてしまっているよね。

簡単には説明できないけど・・・

ざっくり言うとこんな所です。



弓場農場はNHKの取材が入って、2本の番組が作られてた。

「2007 大家族の夢」 「2008祖国と大地」です。弓場の人に言わせると、「作られてる」らしいけどね。私にはオモシロかったです。

それから、「ウルルン滞在記」でサトウエリコって人が来てたのも見せてもらいました。

昔の番組だからもう見られないかな?

これからの話しだと、7月くらいに公開される映画があるよ。

ブラジルの映画だけどね、「汚れた心」っていう邦題らしい。

ブラジル移民の中に、日本は戦争に勝った!と言い張る人たちがいたんだって。

勝ち組 負け組み って分かれて日本人同士が殺しあうまでしてたってさ。信じられないけど・・・

本当にそんなことがあったんだって。

そんなことの話らしいけど、ブラジル人が作ってる映画みたいね。

その映画に、弓場農場の人もちょっと出てるってことで、話題になっておりました。





人を作るって簡単じゃないけど、大事なことなんだなぁ。



長くなりました。どうもありがとう。








6.19.2012

命の食べ方。

弓場を訪れて、ちょうど1週間目の土曜日、

結婚式がありました。

手作り結婚式。

という訳で、その準備がいろいろと進められておったのです。

例えば、チョコレートを作るのに、カカオからって言うのね。なんかスゴイね!!

それから、シュラスコ!!お肉ね。 BBQって感じのヤツ。 もちろん牛からってなるでしょ!!

そういうことでしょう・・・


この先、そんな写真が載っけられちゃうからね。グロイかも知れないよ。てかグロイよね。
もうお肉食べられなくなっちゃった~なんて言っちゃうかも知れない人は見ないほうがいいかもね。

そりゃあもう、身を挺しているのだからね、ハンパないよ。


私は、初めて見たんだ。

命を奪う、その瞬間を。

旅行者たちが見守る中、男たちは、慣れた様子で事を進めていった。

牛は、死なされることを、すでに知っているのでしょう。

トラックの荷台の檻のなかで、落ち着かない様子。さっきまで暴れていたらしい。
近づかないで、って注意された。
ぴりりとした空気が漂う。


牛にロープをくくりつけて、荷台からおろす。



降りたら、もう終いだ・・・

牛は、なにもかも分かっているみたいに、なかなか降りようとはしない。


人間は牛を驚かせて、外へ引っ張りだした。

木と木の間に、牛を捕らえた。





暴れる牛。頑張ってる。

だけど・・・・



人間はもう、すぐそこまで迫り来ておる。

首も絞まっているのでしょう。少しずつ弱ってきてるみたいだ。

光るナイフ。

息を呑む瞬間が訪れる。


喉元を一突き。血が噴き出す。
 
プシャー。
赤い血が噴き出すんだ。


牛は、苦しそうだった。

悲しそうだった。

さぞ恐ろしかっただろう。

恨んでいるようにも見える。

この世に未練を残しているかも知れない。


あるいは、もう観念しているだろうか?




膝をついた。

静かに横たわる。

しばらくは生きていた。

最後の力を振り絞って・・・という感じではなく、
 
命が尽きるまでに必要な時間を過ごしていた。




こんな時、何を想う?



目を覆ってはいけないのだ。

私は、凝視した。

かわいそうと思ってもいけないのだ。

私は、凝視し続けた。


牛の最後の顔をカメラに収めた。
そして、こんな風に載っけている。間違った事をしているのかも知れないね。





牛は死んだ。

結婚式のご馳走になるのだ。



解体する為に運ばれる。

水で綺麗に洗われた。

まずは、皮を剥ぐのだ。

牛革になるみたいだ。聞くところによると、この牛の量で20レアルほどらしい。およそ800円。

牛革安いなぁ・・・





骨は固い。
斧で砕き、のこぎりでギコギコやるんだ。



内臓もごっそり、綺麗に取り出された。

心臓と肝臓は別の容器にとってある。美味しく頂くために。

胃やら腸やらは、トラックに積まれてどこかへ行った。

子宮からは、赤ちゃんが出たきた。ここの牛はみんな妊娠しているんだって。赤ちゃんのいない牛はいなかった。だから、しようがなかったんだ。と聞いた。

妊娠している牛は、余計に美味しいのだそうだ。
脂がのって柔らかいんだって。

2時間ほどで、あの牛は肉になった。




私は、ずっと見ていたよ。

モーモウ啼いてた彼女が、肉になるまで。

ずっと見ていたよ。



それから、

豚が解体されるところも見学した。



豚はもうすでに死んでいた。

台の上で、キレイに毛を剃られているところだった。



カワイイ寝顔みたいだけど、もう息してないんだ。


熱湯をかけて、薄い皮を火傷させて溶かしながら、毛を剃っていくんだって。

何度も確かめながら、丹念に毛を剃っていくよ。

食べる時、毛がついていたら嫌だからね。鼻の周りや耳は剃りにくいからね、特に丁寧に、剃り残さないようにしてた。


ツルツルに剃り落としたら、内臓を取り出すのだ。

臓器を傷つけないように、お腹の中に手を入れてゆっくりと切り裂いていく。

決まり通りに切り開いていく。

まるで儀式のように。



全部繋がったまんま、ぷるるんと出てきた、豚の内臓。

こんな風になっていたのか・・・


4匹の豚。

パーテーのご馳走になったら・・・

こんな感じ・・・・



美味しそうでしょ!  不謹慎ですか?

でもね、ホントにめちゃめちゃ美味しかったんだから。




私は肉を食べる。

ちびっ子のころから、ずっと食べてる。

だって、美味しいんだもん。好きよ。

これからも、食べてく。

命をいただく。



以前インドを旅した時に聞いた話。

インドは菜食主義と肉も食べる人たちでは、レストランの食べる席が分けられてる所もあるって。

そんくらいベジタリアンは多いし、肉食を嫌っているってよ。

肉を食べない理由のひとつに、

動物が死なされる時の、恐怖や悲しみや恨みや諦めや・・・あらゆる負の感情を一緒にもらってしまうから

っていうのがある。

肉を食べることによって、動物のそういった想いが自分の中に溜まっていって、良くないと考えるらしい。


なるほど、とは思ったよ。だけど、私は肉を食べ続けてきた。

私の中にもきっと、動物たちの悲しみは溜まっているんだろう。そういうことをイメージしてみると、感じないことも無いんだ。



弓場農場で、牛の屠殺を見学した。

イメージするよりも簡単に、鮮明に、強烈に、衝撃的に・・・・

その悲しみを味わった。  と思う。


ありがとう。本当にありがとう。 
 
そんなことしか言えないけど、許してくれるだろうか。
 
 
 
これからも

命をいただきます。

貴方たちは、本当に美味しいのだ。

心を込めていただくよ。




愛を込めていただくよ。







どうもありがとう。