2.24.2012

オキナワ 2


2月17日午後 オキナワに着いて、学校と資料館を見学した。

その夜、おじぃが三線教室を学校でやるから、もしよかったら、と誘ってくれたので、覗いてみた。

おじぃしか居ない。誰も来てない・・・

30分程しておばさんひとり現るも、他に誰も来ないので、今日はお終い となった。

本当なら6,7人は集まるハズなのだそうだ。



私も久しぶりに三線をならしてみた。5年くらい前に少し習ったことがあるのだ。

全然覚えてなかったけど、楽しかったです。




次の日の朝、おじぃが宿に迎えに来てくれた。

ブラジルから遊びに来ている友達も一緒に遊ぼうねぇ と言って。


実は、クスコの宿で出会った旅仲間から、オキナワでとてもお世話になったおじさんが居ると教えてもらっていた。
なんとか会館に行って、そのおじさんの名を言えば連絡してもらえるから・・・・って聞いていたけど、その会館に鍵がかかっていて、おじさんには会えないなぁ~と思っていたんだ。

ところが、このおじぃに、その名前を知っていますか?って聞いてみたら・・・・

なんと!
 
「それは私の息子ですねぇ~」ときた。なんということでしょう!!ホントびっくりです。

てなわけで、紹介してもらったけど、会えそうもなかったおじさんのお家へ行くことに。


牛が歩いてる・・・・長閑な風景の中に

モノスゴイ豪邸。 でっかい家の何倍もあるお庭・・・・  びっくりした~ なんだコレ~


お茶うけにちんすこう たまんないね!!!


家には奥さんしか居なかったけど、みんなでおしゃべりしてた。
ブラジルから遊びに来ている友だちは、結婚するまではオキナワに住んでいたんだって。

ジャングルだった頃の話しをたくさんしてくれた。

空も見えないくらいに生い茂る木々。狩りに行ったりすると道に迷うこともあったんだって。そういう時の鉄砲の合図がこんなんだったかねぇ?と思い出話。

時々、子どもがジャングルの中で迷子になったりもしたんだって。

ある時、3日みんなで探しても見つからない子どもが居たって。

諦めかけていた時、ジャングルの上をクルクル飛んでまわる鷹かなんかの種類の鳥を見つけた。

その鳥は腐った肉なんかを食べるって知っていたから、おかしいなぁ?って、

その下に行って見ると、迷子の子どもがぐったりと眠っていたんだそうだ。

もうすぐ死ぬところだったのを、あの鳥が狙っていた・・・って。


サバイバルな暮らしだな・・・私は思い出話に興味津々。


行く先が、ジャングルだとは知らなかったけど、ひとり50町歩の土地が貰えるとあって、覚悟を決めて船に乗ったそうだ。
その頃は、日本がこんなに早く、こんなにまで復興するなんても思えなかったし・・・って言ってたな。
おじいは16歳だった。両親に連れられて家族で来たってね。

もうすぐ60年が経とうとしているけど、やっぱり沖縄に帰りたいという気持ちは無いんだって。もう、ここが自分の故郷と思っているんだってさ。

お昼

おじぃの奥さんが、ご飯作ってくれてるからっておじぃのお家へ。

 TVはもちろんNHKなのだ!

うちは小屋だから・・・っておじィは言ったけど、なかなか立派なお家でしょ!
おじぃは息子の豪邸の、道はさんですぐの所に、自分の豪邸を建設中なのだ!!





味噌汁マジ美味い!!黒米ご飯。もちもち日本米!!お母さん自家製の油味噌まで出てきた!!ユカイモのフライにかまぼこもあるよ。
さいこう~チェベレ!!

おじぃとブラジルから来てる友達です。

ホントに感激しました。彼等の優しさ。
通りすがりの私です。こんなにしてもらって。
 



さぁ、ご飯の後は、畑を見せてもらうドライブへ

おじぃは大地主のようです。人の倍の畑を持っているそうです。

現地人の人夫は常時6,7人いるのだそうです。住み込みの人用の家も有りました。



写真には写り切らない広大な土地です。気が遠くなるほど、遠い、遠い景色です。




大豆と小麦の二毛作だそうです。コレは大豆。緑の絨毯。雑草が多くて除草剤をまいてるところなんだって。雑草だけを枯らす薬があるんだってね、知らなかったわ。

機械仕事と言えども、うんざりするほだね・・・莫大すぎるだろー 

それから、米を少しと、とうもろこしの畑もありました。オキナワの米はあんまり美味しくないんだってさ。

おじぃの畑ドライブ、半分だけでも周囲が5キロ以上あるとのこと。また別の所にも増やした畑があるんだって。どんだけ?!


時々サトウキビ畑もあったね。製糖工場もあるそうです。



だけどね・・・
今みたいに安定した暮らしになったのはまだ10年くらいなんだって。

この広大な畑、雨の恵みにだけに頼っているんだってさ。なんで灌水しないのかね?ってちょっと不思議なんだけど、まあとにかく自然の雨だけが頼り。

賭けだよね。毎年ギャンブル的農業。雨が少ない年はやっぱりよくないのだ。
収穫間近に、洪水がきて、台無しになった年もあるって。

どん底も、何度も経験したそうだ。

どんな時も、今を精一杯生きていくしかなかった って。

こんなに大成功してる、なんて未来は、少しも想像しなかったんだって。

日本に帰るなんてことも、考えなかった。

成功を信じる なんてこともしなかった。

ただ、今日を生きることだけを考えて暮らしてきたんだって。


そんだけギリギリだったってことだよね。

今日を生き延びなければ、明日も来年も無いんだからね。


月日が流れ、少しづつ生活は良くなっていったそうです。

それでも、やっぱり、今日が暮らせればいい・・・という考えなんだってさ。
 
最早、スゴイ金持ちなんだけどね、今日が暮らせればいいんだってさ。
 
話しを聞いてても欲を感じさせない。勉強なるわ。


はい。話変わるけど、
 
この日は2月18日
 
 
 
カーニバルの始まり始まりなのだ。

今日から4日間、連休になってのお祭り騒ぎ。

パレードしたり水かけたり・・・

 

そんで、おじぃの息子さんが、サンタクルスのカーニバル見にいくんだけど、一緒にどうですか?

って誘ってくれた。

私は二つ返事でサンタクルスへ!!やった~

沖縄県から派遣されてる先生も一緒だった。年明けからだったかな?先生のふたりの息子君たちもオキナワの学校に転校して勉強してるのだ。

カーニバルのパレードを見る為の椅子席をわたしたちの分も買ってくれていた。いくらするのか知らないけど・・・
その他にもたくさんご馳走になったんです。


会場へ向かうサンタクルスの路地・・・ちびっ子たちが水風船を投げてくるのだ。


祭りの日にはファッションもこんな感じに!!いいね。

パレードの始まり。






泡のスプレー攻撃・・・ ナニかけられても怒っちゃいけないのだ!!

祭りなのだ!!



前の方に出て立っていると、椅子に座ってる人たちが見えない!!って泡泡攻撃するのだ。

いつまでも邪魔してると、泡だらけになっちゃうよ。


大きな山車がパレードを盛り上げる。


そこにはレイナ(女王様)が乗っていて、歓声と注目を浴びるのだ。

みんなキレイだなぁ。



キレイに飾られた賑やかな山車が次から次へとやってくる。

2時か3時位までパレードは続くということだったけど、私たちは、ちびっ子も眠くなるし、なんだかんだ飽きてもくるので、10時過ぎには帰ることになりました。

町のあちこちから歓声が聞こえ、水風船が飛び交い、破裂し、大騒ぎでした。



もう11時になろうとしていたけど、お洒落なレストランバーで車が止まり、

ご飯を食べましょう!!だってさ。








私はトマトのスープを頂きました。
お洒落です・・・・
味も優しくて夜食にぴったり。


トイレもステキでしょ!!



深夜12時頃モンテーロで宿を見つけもらって、みんなとバイバイしました。

長い1日でした。とっても盛りだくさんで有意義な1日でした。





パレードが始まる前、息子さんがいろいろお話してくれた。

彼は2世でオキナワで生まれている。

日本に何かの研修で2年間暮らした経験もある。

その他にも何度も日本、沖縄、には行っているそうだ。私がオキナワ村を訪ねる3日前に沖縄から帰って来たとも言っていた。

ある時、ボリビアから日本に飛び、川崎駅に降り立った。
せわしなく行き交う人たちを見ているうちに、

「僕、ボリビアで良かった」と思わず呟いたことがあるそうだ。

今はようやく、生活も安定し、友だちと共同出資の会社をおこし、軌道に乗って順風な日々を送っている。

どん底も長かったけど、大変だった日々が、苦労した経験が今の僕を作っているのだ と感謝しているんだって。

だから、人にも優しくできるし、大変な人の気持ちもよく分かるって。

今は、自分の時間を作ることができる。それが何より幸福なことだと思う って言っていた。

自分で1日中働かなくても、管理する側にいるからそれなりに時間が作れるようになったんだって。



自分の時間・・・・

やりたいことができる時間。

日本人は自分の時間を作るのが難しいでしょ?!ってね。

そうだと思います。


私は自分の為にばかり時間もお金も使っているけどね。

誰かのために生きていきたい・・・とぼんやり思うようになってきたところです。


コロニアオキナワ。

ステキな出会いがあったお陰で、ホントに素晴らしい滞在になりました。

ホントラッキーでした。

ありがとうございます。


オキナワ

サンタクルスには2泊しました。旅のお宿は

La Tia
バスターミナルのすぐ近く。5分もかからないね。ターミナル出て、右手にあります。Av,Brasil.25です。

一泊45ボリ。水シャワーでwifi無し。 部屋ごとにテレビがついていてNHKが見れます。
そして、どういう訳か洗濯しちゃいけないみたいでした。お金を払えばできるみたいな感じもしたけど・・よく分かりません。わたしは、シャワーの時こっそり洗っちゃいましたけど。




 サンタクルス、見所も知らず・・・何することもないので、セントロまで散歩。

宿からは3キロほどらしい。40分くらい歩くと辿り着けます。

とりあえずけんちゃんへ。日本食レストランです。ラパスでも2度行きました。
サンタクルスが本店なんだってね!!



これがまた、美味いのなんのって!!感激です。ボリビアの物価で考えると高級ですが、日本円で考えると定食が500円くらいだから、まぁたまにはいいよね、っていう贅沢です。


日本のご飯に少ししょっぱかった味噌汁。メインは鶏肉。カリっと焼いて煮詰めてある感じですね。
てんぷらにはきゅうりが!!満腹美味しいでした。


さて、さて、

サンタクルスからどうするかな・・・といろいろ考えましたが、予定してたチェ ゲバラの最後だった村(バジェグランデ)に行くのは止めました。バスで5,6時間も行かなきゃならないのか・・・
遠いなぁ~とか考えてたら、萎えてしまいました。

てなわけで、

早速、オキナワへ!!

ボリビアにオキナワ!?どんな所かワクワクです。

宿からバスに乗ってテルミナル デ アンティグア(旧バスターミナル)へ。
そこから、トゥルフィー(乗り合いタクシー)に乗ってモンテーロまで。10ボリ。
モンテーロで乗り換えてオキナワ まで。8ボリ。 全部で2時間くらいかかったかな。



オキナワ到着!!



ここは、58年前、沖縄県からの移住者だけで作られたというのが特徴的な、3つの大きな集落からなるコロニアオキナワです。

私は、学校や診療所、文化会館や資料館などの集まる、第一オキナワを訪問しました。


まずは宿探し・・・・道の人に聞いてみます。ボリビア人です。日系人の姿は見かけません。
「あっち」と指差し、教えられた方に向かってテクテク歩きます。

宿らしきは見当たらず・・・・・ラパスで結構買い物したので、荷物が20キロにまで増え、暑さと重さでフラフラです。

どこに在るのか分からないので、また、人に聞きます。分からないとか、あっちとかこっちとか・・・
みんなバラバラで訳が分かりません。

困り果て、診療所に入って聞いてみることに。日系人のおばさんが日本語で丁寧に教えてくれました。地図まで書いてくれました。

オキナワに、宿は1軒しかないようです。

トゥルフィーで走って来た道をほんの少しバックした所に在りました。

1泊50ボリ。ツインの部屋でした。NHKも見れました。シャワーもトイレもキレイで快適なお宿です。


荷物を置いて

いざ、オキナワ散策!!

どっちに歩けばナニがあるのかも分からないのだ。



人の姿も見かけませんね・・・・沖縄らしさも少しも感じません・・・・

鳥居のある広場のベンチに腰掛けて、どうするかな~とぼんやりしていました。

そこへ、

学校に向かって歩いて行くおじぃ発見!!



私は駆け寄って、おじぃの持っているケースを指差してして「三線ですか?」と声をかけた。

毎週金曜日に、学校へやってきて、三線の練習をする授業を持っているとのこと。

お~なんというグッドタイミング!!

校長先生に挨拶して、私もその授業を見学させてもらうことにしました。

授業が始まるまでに3,40分もあったでしょうか?
その間に、三線の準備をしながら、おじぃのお話聞きました。





安里屋ユンタ  さーゆいゆい~

歌いながら弾いています。なかなかです。


三線の授業の後、

学校の先生から、
「この後、日本語の授業があるんですけど、もしよかったら、なにか話して頂けませんか?」と。
 
 
なに話せばいいのかなんて分からないけど・・・オモシロそうなので、話してみることにしました。


7,8年生のクラスで。12,3歳の皆さんです。





日本の教科書で勉強してます。
お習字も。






先生「何でもいいので・・・」

なんて、丸投げされるので、困っちゃったけどね・・・

でも、みんながいろいろ質問してくれたり、ボリビア、オキナワのことを教えてくれたりで、
私には楽しい時間でした。





この学校は私立の小、中学校です。沖縄県から派遣されている先生も居ます。任期は2年だそうです。

月謝が1万円以上もするとのことで、ここへ通う子どもたちは皆、裕福なお家の子なんだって。

午前中はスペイン語でボリビアの学校の授業を受け、午後からは、日本語の勉強や、三線など、日本のことを学んでいるのだそうだ。

日系人の中でも、公立の学校に通っている人もいるし、午後だけこっちの学校で勉強する人も居るんだそうだ。

聞く所によると、

ボリビアの学校の先生の月給は300ドル程で、それではやっぱり家族で暮らすのに楽じゃなくて、学校を掛け持ちして働いている先生も少なくないとか。

更には、その給料が滞納されることもしばしばで、先生たちのストライキが度々起こるのだそうだ。

すると当然、休校になるわけで、子どもたちに良くない とのことで、この私立の日ボ学校ができたのだそうだ。

ここはすっかり日本のようだった。しかも沖縄なまりの日本語で、ホント沖縄みたいだったな。

日本語もスペイン語も中途半端だと言われていたけど、私には日本語、上手に聞こえてたわ。

NHKは勿論のこと、DVDやインターネットで、日本のドラマやアニメ、音楽なんかにもやたら詳しいらしいしね。
ゲームもいっぱい持ってるし、日本のこどもと変わらないですよ・・・と先生談。


学校オモシロかった。


学校を出て、移民資料館へ。



当時使っていた道具や写真で、おじぃのお話しがよりよく分かった気がする。




移住当初、この辺りは、ジャングルだった。
のこぎりやら斧やらで、少しずつ原生林を切り倒し、今の町を作ったのだそうだ。
最初の移住地では、病気が発生し、何名もの死者を出した。
そのため、引越しをして、今の場所に落ち着いたとのこと。
58年の歴史・・・・

ここがジャングルだっただなんて想像もつかない・・・・


2.17.2012

遠いサンタクルス



長居をするつもりは無かったのだけれど、なかなか出られなくてね、ラパスの町に19泊していた。

よっこらせ

私はサンタクルスに向かうことにしました。





サンタクルス行きのバスは、数社あるものの、夜行1本だけのようだった。

カマが170ボリとかセミカマが130ボリとか・・・高いでしょう?こんなもん?


挙句の果てにはカマしかない。170だ!!と、どの会社も言いだす始末で、ターミナルを右往左往。

決めかねていたのでした。

そこへ、優しいバス会社のおばちゃんより、耳寄り情報。

コチャバンバで乗り継ぐと安く行けるよ!!とのこと。

というわけで、出発は明日の朝に延期。



さあ、いよいよです。


雨の降り続く月曜日。コチャバンバ行きのバスに乗り込みました。

8時、9時、・・・と朝から何本かあるようです。

私は正午発、夜8時頃着くよ というバスにしました。



休憩しつつ、順調にバスは走る。名も知らぬ村や平原の風景に、釘付けです。




コチャバンバに近づくにつれて、

また、雨が・・・・。


雨季ですなぁ。


コチャバンバ、8時半到着。

10時のサンタクルス行きのチケットを買い、のんびり1時間程待つこととなりました。

料金は、
ラパス~コチャバンバ         20ボリ(200円)
コチャバンバ~サンタクルス     70ボリ(セミカマ)



水っぽいりんごジュースで一服して、

午後10時。

乗客はみな席に着き、いざ出発!!という、和やかな雰囲気のバスの中。

突然のお知らせ。

悲しいお知らせです。





「道路が封鎖されましたので、バスは出ません」  







あがぃ~


なんということでしよう。

ストライキですね。

いつ終わるのか分からないやつでしょ。

隣の席のおじさんは、飛行機で行くって言う。いつまでかかるか分からんからね、わたしにも、飛行機がいいよって、勧めてた。

だけど、

バス会社の人は、

「明日には、出るかも知れない」とか言うのよね。

確かに、そうかも知れないではある。

けどね、

いい加減なことを言うのですよ。



チケットの払い戻しを済ませ、始発のバスの時間を調べてみると、

朝5時半のが見つかった。

一晩、ターミナルでやり過ごすかな?

うーーーーん。辛いでしょう・・・

朝一で出られるとも限らないのだし。

うーん

雨だし面倒くさいなぁ、と思いつつ、外の様子をうかがっていると、

「どうしたの?」と話しかけてくれた親切なお姉さんが、ターミナルの外まで出て、近くの安宿を教えてくれました。

名も知らぬ宿
ターミナルを出て右へ3分くらいの所。35ボリでした。


とりあえず、始発を狙おうと4時半に目覚まし。


朝、

起きてみると、まだ雨が降ってる。

そんで、超眠い。

出発出来るかどうかも分からないのだし・・・・

7時と8時台にもバスあったし・・・・

まあいっか、ということで二度寝。
(その後は夜6時か7時くらいまで無かった。他の会社も探せば昼便はあったのかも知れませんが)

たっぷり眠って元気いっぱい、8時にターミナルへ行ってみました。

「サンタクルス、サンタクルス、」

あった!!

バス走ってましたねぇ~

ラッキー。

1泊ですんだ!!

喜んでバスに乗ります。

昼便は普通席だったので、50ボリでした。

サンタクルスまでは11時間くらい。夜7時くらいには着くわ。よしよし。

バスは、軽快に走る。

山を越え、どんどん標高も低くなってきます。もったりとした熱い空気がまとわりつく。

ラパスもコチャバンバも雨で寒かったんだよね。標高も高いし、ダウン羽織ったりするくらいだった。

それが、上着を脱ぎ、半袖で風を浴びてても汗ばむ熱気。

夏のにおいがした。

南の島を想い出して、ちょっぴりセンチな気分になる。




途中、2回も荷物チェックがありました。



乗客は全員降りて、少し歩いて行ってバスを待ちます。その間トイレ行ったり食べ物買ったり。

で、バス何してんだべ?と思って覗いてみると・・・

私のリュックをこじ開けて、手をつっこんでゴソゴソしているじゃありませんか!!

「あがぃ~何やってるかよ?!」

言葉は分からないだろうから、笑顔でそう言ってみました。

「ハポン(日本人)!?チーナ(中国人)?」と相手も笑顔で友好的です。

そんで、

「ここの鍵あけて」 ってつっこんだ手を抜き、笑顔を向けられました。

はいはい って素直に鍵あけてあげました。

ゴソゴソやって、OK!! いったいナニがしたかったんでしょう?





すっかり山を下りて、平らな道をぶっ飛ばすバス。

高いから微妙に揺れて怖いわ。

猛スピードで走っていたのに徐々に減速。

そして、

ぴたりと止まって動かない。

出た~

ストライキ

ブロッケオ!!!

道路が封鎖されています。

しばらくして時計を見るともうすぐ5時になろうとしていた。


もう終わってたんじゃなかったの?ってか1回終わって、新しいストなの?



みんな慣れた様子で寛いでいる様子。散歩したり、ベンチでおしゃべりしたり。


いつ始まったとも知らず、いつ終わるのかも見当がつかず、私はぼんやり窓の外を眺めていました。

読みかけの本を読んで暇を潰す。クスコで交換した「肝臓先生」

次第に暗くなる。字が読めなくなる。お腹が痛くなる・・・・







今日食べたモノ いたって普通。


近所のホテルでトイレを借りる。

夜になる・・・・




バスの運転手さんが、9時ごろには終わるんじゃないかな?って言う。
 
なんでだか分からないけど・・・。
 
それなら、もう少しだ。

時々外に出て、バスの周りを歩いたりしながら9時を待った。

9時過ぎた、
 
10時過ぎた、
 
雨が降り出した。

乗客はみんな席に着き、眠りにつく。

私も眠った。
 
朝起きたら、サンタクルスだといいな・・・



朝、



何時だったんだろ?辺りが騒々しくて目を覚ました。

顔を上げると、サンタクルスの方の空がピンクに染まってきれいだった。

そして2度寝した。こんな所でもぐっすり眠れるようになった私。いい感じ。


7時ホントに起きた。
 
誰も居ない。

運転手さんに聞くと、皆歩いて行ったとのこと。
 
 
どこへ?
 
どうやって行けるの?
 
私を置いてみんな行ったのね?
 
 
 
 
ふーん
 
 
 
寂しかったです。

 
 
とりあえず腹は減るので、なんか食べましょ。

ここは普通の町中の道のストライキだから、なんでもあって安心だ。

山の中や、平原に道一本 なんて所だったら、と思うとゾッとするね。




 
 



朝ごはん
 
パンと、牛肉の揚げハンバーグみたいのと、ユカイモ。
 
店の兄ちゃんと、ブロッケオ大変だね~とかボリビアどうね?とかお話ししながら頂きました。
 
こういう状況でも、そんなひと時は楽しいものです。

ご飯食べて、満腹して、ホテルでトイレ借りてバスに戻りました。

独りぼっちの乗客になってしまった・・・・
 
と思っていたけど、斜め前に座っていた、いい歳な感じのカップルが道端のベンチに座って居ました。

彼女が泣いていたのはどうしてでしょう?

そして、もうひとり若い男性もひとり残っていました。
 
 
 
午前8時過ぎ。
 
運転手さんが、「バモス!!」と言ってバスが動き始めました。

少しバックして、反対車線に移り、いい調子で走りました。

どうやら9時に終わるとの事。

数100メートル走って、止まる。ぴたりと止まる。



この先が封鎖されてるらしいよ。

バイク野郎が封鎖してるらしい。




バスの下で眠る人が居る。
 



信号は変わり続ける。みんな止まっているというのに。



 

 

9時まであと2、30分。

きっと9時になったら終わるんだわ・・・期待を込めてそう思う。

しかし、
 
車は動かなかった。

9時半になって、さっきのカップルも荷物をまとめてバスを降りた。

アディオスって言う。チャオじゃないんだね。
 
 
 
私は、バスを降りてどうすれば良いのか、分からないのだよ。

だから、ここに居るのだね。

どっかまで歩いて行って、サンタクルス行きのバスをつかまえて、スーっと行けるなら、それがいいように思う。
だけど、私にはそのやり方が分からないのだよ。
 
とりあえず、歩き出してみたら、なんとかなるような気もするけど、ここを離れるのは怖いでしょ。

だから、ここに居るよりなかったんだね。

だけど、

私はまるで、自分の意思でここに残っているのだよ!!と言わんばかりの積極的な気持ちになって、

この結末を見とどけるのが楽しみにもなっていったんだよ。

自分の意思とは関係なく、事が運ばれていくのを見守る。
 
いつの間にか、ワクワクしてたんだよ。
 

ナニがどう動いていくのか?他人事のように眺めていた。

私は、すっかり落ち着いていた。




午後になって、腹が減る。

レストランを覗く。

いつ出発しちゃうか分からないから、念のため持ち帰りにした。用心深いのである。



独りぼっちのバス。若い男の人もどっか居なくなってる。


美味しそうでしょ!?
 
ハイ。
 
美味しいです。牛肉です。骨がじゃまです。



うーん



それにしても、いつ終わるか分からないってことは、大変だな。
 
どういう気持ちで居ればいいのか分からなくなるよね。

ゴールが見えないと走れないでしょ。
 
だって、どんくらいの力出していいのか分からないんだから。

いつも全力で!って思ってても、
 
100メートル走る時と1000メートル走る時じゃ違うもんね、走り方。

いつか終わる、ってことだけは確かなんだけどね。
 
全てのことはいつか終わる。それが唯一の救いでしょ。
 
だから一生懸命できるってこと。
 
だから生きていられるってこと。

 
いつか終わる。

 
でもいつだ?




とりあえず、かんぱーい



私のバスの車掌さんや、他のバスの運転手さんたちと・・・・(運転手!?大丈夫ですか? )
 
私のバスの運転手さんはビール飲んでなかった。安全運転なのだ。

今夜もここでバスに泊まるから大丈夫だ~とか言ってたけど・・・この人たち大丈夫かな?
 
バス会社の人には違いないのだけど・・・ホントに運転手なのかどうかは謎です。
 
 
 
 
そろそろ、24時間が経とうとしていた。

今夜もここで眠るのか・・・・

頭カユイなァ

汗かいてるし・・・
 
 
 
ちょっと散歩。

数百メートル歩くと封鎖されてる所に着いた。

私たちってかなり先頭だったんだなァ~って初めて気づいた。

てか、こんなお粗末なもんなの?ブロッケオって。

 


バイク野郎たちが自分のバイク並べて、地面には石並べてる。

輪の中では漫才みたいなことしてて、笑いが起こっていたり・・・

歩行者天国みたいな雰囲気。



誰がなんの為に道路封鎖してるのかは、言葉の問題で分からない。

だけど、たったこれっぽっちのバリケードを大の大人たちがだまって待っているというのはどういうことなんでしょう?

機動隊的な人たちが出てきて、一瞬で通れるようにしてくれないのはなぜ?

運転手たちがみんなで怒って、この石とバイクをどかすことは不可能なの?

24時間もただ黙って待っていなきゃならないってことは、言葉を理解しても、きっと私には分からないことだと思う。


「肝臓先生」は読み終えていた。


辺りが暗くなり始めた。

風が吹く。

雨が降る。

雷もなる。

午後8時20分。

ストライキが終わった。

クラクションが鳴り響く。

チャオ~ バモ~ス!!

少しづつ車が動き出す。

私たちのバスが動き出したのは8時40分だった。

雨は止んでいた。

私は窓から顔を出して、前方を見つめた。確かに動いている。

後ろを振り返る。

あのちっぽけなブロッケオはもう越えている。

雨上がりの星のない空に稲光が走る。


約29時間

名も知らぬ町で過ごした。

それは案外楽しい時間でもあった。

そして、

サンタクルスへ向かっている。

晴れ晴れとした気分で。

サンタクルスには呼ばれてないのかしら?なんて考えたりもしたけどね・・・

コレが ボリビア名物 ストライキ。よくある話なのよ。
 
 
 

バスは猛スピードで走った。

何台も追い抜いて走った。

午後11時20分    サンタクルス到着。

すぐ近くだったんだな。

朝一のバスに乗ってりゃ、もしかしたらストライキに合わなかったかも・・・・

なんてね。


ピンボケてるけど・・・私の運転手さん
運転手、この人でよかった。なんか安心してたわ、わたし。
 
 
 
 
 
追伸 
あのバイク野郎たちは、バイクタクシーの運転手で、労働条件の抗議の為のブロッケオだったそうな。後で聞いて知った話です。