2.24.2012

オキナワ

サンタクルスには2泊しました。旅のお宿は

La Tia
バスターミナルのすぐ近く。5分もかからないね。ターミナル出て、右手にあります。Av,Brasil.25です。

一泊45ボリ。水シャワーでwifi無し。 部屋ごとにテレビがついていてNHKが見れます。
そして、どういう訳か洗濯しちゃいけないみたいでした。お金を払えばできるみたいな感じもしたけど・・よく分かりません。わたしは、シャワーの時こっそり洗っちゃいましたけど。




 サンタクルス、見所も知らず・・・何することもないので、セントロまで散歩。

宿からは3キロほどらしい。40分くらい歩くと辿り着けます。

とりあえずけんちゃんへ。日本食レストランです。ラパスでも2度行きました。
サンタクルスが本店なんだってね!!



これがまた、美味いのなんのって!!感激です。ボリビアの物価で考えると高級ですが、日本円で考えると定食が500円くらいだから、まぁたまにはいいよね、っていう贅沢です。


日本のご飯に少ししょっぱかった味噌汁。メインは鶏肉。カリっと焼いて煮詰めてある感じですね。
てんぷらにはきゅうりが!!満腹美味しいでした。


さて、さて、

サンタクルスからどうするかな・・・といろいろ考えましたが、予定してたチェ ゲバラの最後だった村(バジェグランデ)に行くのは止めました。バスで5,6時間も行かなきゃならないのか・・・
遠いなぁ~とか考えてたら、萎えてしまいました。

てなわけで、

早速、オキナワへ!!

ボリビアにオキナワ!?どんな所かワクワクです。

宿からバスに乗ってテルミナル デ アンティグア(旧バスターミナル)へ。
そこから、トゥルフィー(乗り合いタクシー)に乗ってモンテーロまで。10ボリ。
モンテーロで乗り換えてオキナワ まで。8ボリ。 全部で2時間くらいかかったかな。



オキナワ到着!!



ここは、58年前、沖縄県からの移住者だけで作られたというのが特徴的な、3つの大きな集落からなるコロニアオキナワです。

私は、学校や診療所、文化会館や資料館などの集まる、第一オキナワを訪問しました。


まずは宿探し・・・・道の人に聞いてみます。ボリビア人です。日系人の姿は見かけません。
「あっち」と指差し、教えられた方に向かってテクテク歩きます。

宿らしきは見当たらず・・・・・ラパスで結構買い物したので、荷物が20キロにまで増え、暑さと重さでフラフラです。

どこに在るのか分からないので、また、人に聞きます。分からないとか、あっちとかこっちとか・・・
みんなバラバラで訳が分かりません。

困り果て、診療所に入って聞いてみることに。日系人のおばさんが日本語で丁寧に教えてくれました。地図まで書いてくれました。

オキナワに、宿は1軒しかないようです。

トゥルフィーで走って来た道をほんの少しバックした所に在りました。

1泊50ボリ。ツインの部屋でした。NHKも見れました。シャワーもトイレもキレイで快適なお宿です。


荷物を置いて

いざ、オキナワ散策!!

どっちに歩けばナニがあるのかも分からないのだ。



人の姿も見かけませんね・・・・沖縄らしさも少しも感じません・・・・

鳥居のある広場のベンチに腰掛けて、どうするかな~とぼんやりしていました。

そこへ、

学校に向かって歩いて行くおじぃ発見!!



私は駆け寄って、おじぃの持っているケースを指差してして「三線ですか?」と声をかけた。

毎週金曜日に、学校へやってきて、三線の練習をする授業を持っているとのこと。

お~なんというグッドタイミング!!

校長先生に挨拶して、私もその授業を見学させてもらうことにしました。

授業が始まるまでに3,40分もあったでしょうか?
その間に、三線の準備をしながら、おじぃのお話聞きました。





安里屋ユンタ  さーゆいゆい~

歌いながら弾いています。なかなかです。


三線の授業の後、

学校の先生から、
「この後、日本語の授業があるんですけど、もしよかったら、なにか話して頂けませんか?」と。
 
 
なに話せばいいのかなんて分からないけど・・・オモシロそうなので、話してみることにしました。


7,8年生のクラスで。12,3歳の皆さんです。





日本の教科書で勉強してます。
お習字も。






先生「何でもいいので・・・」

なんて、丸投げされるので、困っちゃったけどね・・・

でも、みんながいろいろ質問してくれたり、ボリビア、オキナワのことを教えてくれたりで、
私には楽しい時間でした。





この学校は私立の小、中学校です。沖縄県から派遣されている先生も居ます。任期は2年だそうです。

月謝が1万円以上もするとのことで、ここへ通う子どもたちは皆、裕福なお家の子なんだって。

午前中はスペイン語でボリビアの学校の授業を受け、午後からは、日本語の勉強や、三線など、日本のことを学んでいるのだそうだ。

日系人の中でも、公立の学校に通っている人もいるし、午後だけこっちの学校で勉強する人も居るんだそうだ。

聞く所によると、

ボリビアの学校の先生の月給は300ドル程で、それではやっぱり家族で暮らすのに楽じゃなくて、学校を掛け持ちして働いている先生も少なくないとか。

更には、その給料が滞納されることもしばしばで、先生たちのストライキが度々起こるのだそうだ。

すると当然、休校になるわけで、子どもたちに良くない とのことで、この私立の日ボ学校ができたのだそうだ。

ここはすっかり日本のようだった。しかも沖縄なまりの日本語で、ホント沖縄みたいだったな。

日本語もスペイン語も中途半端だと言われていたけど、私には日本語、上手に聞こえてたわ。

NHKは勿論のこと、DVDやインターネットで、日本のドラマやアニメ、音楽なんかにもやたら詳しいらしいしね。
ゲームもいっぱい持ってるし、日本のこどもと変わらないですよ・・・と先生談。


学校オモシロかった。


学校を出て、移民資料館へ。



当時使っていた道具や写真で、おじぃのお話しがよりよく分かった気がする。




移住当初、この辺りは、ジャングルだった。
のこぎりやら斧やらで、少しずつ原生林を切り倒し、今の町を作ったのだそうだ。
最初の移住地では、病気が発生し、何名もの死者を出した。
そのため、引越しをして、今の場所に落ち着いたとのこと。
58年の歴史・・・・

ここがジャングルだっただなんて想像もつかない・・・・


2 件のコメント:

  1. tanaka24/2/12

    いい旅してるね、うらやましい。いつも、帰りのチケットに書かれた日を見て、あと何日、って。中南米に行くと、日本人て、いいな、と思うことありませんか?よく、アジアの大きな国の人と間違われたけど、日本人だというと急に態度が変わって、みんな親切にしてくれた。移民者たちが、苦労して、がんばって、まじめにやってきた証だと聞いたことがある。日本にいたら、絶対に気がつかないような、いろいろなことがあるんでしょうね。たくさん吸収して、無事に帰ったら、多くの人にこの経験を伝えてください。何時間でも話を聞いてみたい、、うらやましすぎる。

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  2. tanakaさん

    ホントいい旅になってます。だいずハッピー。

    確かにみんなに親切にしてもらってます。移民の皆さんのお陰といわれれば、なるほど!!と思いますね。
    でも実際、他の国の人たちと扱いが違うのかは分かりませんけどね。どうなんでしょう?

    日本からこんなに遠く離れた所に日本があるなんて!驚きと共に感動しています。
    日本人スゲー!!

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