La Tia
バスターミナルのすぐ近く。5分もかからないね。ターミナル出て、右手にあります。Av,Brasil.25です。
一泊45ボリ。水シャワーでwifi無し。 部屋ごとにテレビがついていてNHKが見れます。
そして、どういう訳か洗濯しちゃいけないみたいでした。お金を払えばできるみたいな感じもしたけど・・よく分かりません。わたしは、シャワーの時こっそり洗っちゃいましたけど。
宿からは3キロほどらしい。40分くらい歩くと辿り着けます。
とりあえずけんちゃんへ。日本食レストランです。ラパスでも2度行きました。
サンタクルスが本店なんだってね!!
これがまた、美味いのなんのって!!感激です。ボリビアの物価で考えると高級ですが、日本円で考えると定食が500円くらいだから、まぁたまにはいいよね、っていう贅沢です。
う。
日本のご飯に少ししょっぱかった味噌汁。メインは鶏肉。カリっと焼いて煮詰めてある感じですね。
てんぷらにはきゅうりが!!満腹美味しいでした。
さて、さて、
サンタクルスからどうするかな・・・といろいろ考えましたが、予定してたチェ ゲバラの最後だった村(バジェグランデ)に行くのは止めました。バスで5,6時間も行かなきゃならないのか・・・
遠いなぁ~とか考えてたら、萎えてしまいました。
てなわけで、
早速、オキナワへ!!
ボリビアにオキナワ!?どんな所かワクワクです。
宿からバスに乗ってテルミナル デ アンティグア(旧バスターミナル)へ。
そこから、トゥルフィー(乗り合いタクシー)に乗ってモンテーロまで。10ボリ。
モンテーロで乗り換えてオキナワ まで。8ボリ。 全部で2時間くらいかかったかな。
オキナワ到着!!
ここは、58年前、沖縄県からの移住者だけで作られたというのが特徴的な、3つの大きな集落からなるコロニアオキナワです。
私は、学校や診療所、文化会館や資料館などの集まる、第一オキナワを訪問しました。
まずは宿探し・・・・道の人に聞いてみます。ボリビア人です。日系人の姿は見かけません。
「あっち」と指差し、教えられた方に向かってテクテク歩きます。
宿らしきは見当たらず・・・・・ラパスで結構買い物したので、荷物が20キロにまで増え、暑さと重さでフラフラです。
どこに在るのか分からないので、また、人に聞きます。分からないとか、あっちとかこっちとか・・・
みんなバラバラで訳が分かりません。
困り果て、診療所に入って聞いてみることに。日系人のおばさんが日本語で丁寧に教えてくれました。地図まで書いてくれました。
オキナワに、宿は1軒しかないようです。
トゥルフィーで走って来た道をほんの少しバックした所に在りました。
1泊50ボリ。ツインの部屋でした。NHKも見れました。シャワーもトイレもキレイで快適なお宿です。
荷物を置いて
いざ、オキナワ散策!!
どっちに歩けばナニがあるのかも分からないのだ。
人の姿も見かけませんね・・・・沖縄らしさも少しも感じません・・・・
鳥居のある広場のベンチに腰掛けて、どうするかな~とぼんやりしていました。
そこへ、
学校に向かって歩いて行くおじぃ発見!!
私は駆け寄って、おじぃの持っているケースを指差してして「三線ですか?」と声をかけた。
毎週金曜日に、学校へやってきて、三線の練習をする授業を持っているとのこと。
お~なんというグッドタイミング!!
校長先生に挨拶して、私もその授業を見学させてもらうことにしました。
授業が始まるまでに3,40分もあったでしょうか?
その間に、三線の準備をしながら、おじぃのお話聞きました。
安里屋ユンタ さーゆいゆい~
歌いながら弾いています。なかなかです。
三線の授業の後、
学校の先生から、
「この後、日本語の授業があるんですけど、もしよかったら、なにか話して頂けませんか?」と。
なに話せばいいのかなんて分からないけど・・・オモシロそうなので、話してみることにしました。
7,8年生のクラスで。12,3歳の皆さんです。
日本の教科書で勉強してます。
お習字も。
先生「何でもいいので・・・」
なんて、丸投げされるので、困っちゃったけどね・・・
お習字も。
先生「何でもいいので・・・」
なんて、丸投げされるので、困っちゃったけどね・・・
でも、みんながいろいろ質問してくれたり、ボリビア、オキナワのことを教えてくれたりで、
私には楽しい時間でした。
この学校は私立の小、中学校です。沖縄県から派遣されている先生も居ます。任期は2年だそうです。
月謝が1万円以上もするとのことで、ここへ通う子どもたちは皆、裕福なお家の子なんだって。
午前中はスペイン語でボリビアの学校の授業を受け、午後からは、日本語の勉強や、三線など、日本のことを学んでいるのだそうだ。
日系人の中でも、公立の学校に通っている人もいるし、午後だけこっちの学校で勉強する人も居るんだそうだ。
聞く所によると、
ボリビアの学校の先生の月給は300ドル程で、それではやっぱり家族で暮らすのに楽じゃなくて、学校を掛け持ちして働いている先生も少なくないとか。
更には、その給料が滞納されることもしばしばで、先生たちのストライキが度々起こるのだそうだ。
すると当然、休校になるわけで、子どもたちに良くない とのことで、この私立の日ボ学校ができたのだそうだ。
ここはすっかり日本のようだった。しかも沖縄なまりの日本語で、ホント沖縄みたいだったな。
日本語もスペイン語も中途半端だと言われていたけど、私には日本語、上手に聞こえてたわ。
NHKは勿論のこと、DVDやインターネットで、日本のドラマやアニメ、音楽なんかにもやたら詳しいらしいしね。
ゲームもいっぱい持ってるし、日本のこどもと変わらないですよ・・・と先生談。
学校オモシロかった。
学校を出て、移民資料館へ。
当時使っていた道具や写真で、おじぃのお話しがよりよく分かった気がする。
移住当初、この辺りは、ジャングルだった。
のこぎりやら斧やらで、少しずつ原生林を切り倒し、今の町を作ったのだそうだ。
最初の移住地では、病気が発生し、何名もの死者を出した。
そのため、引越しをして、今の場所に落ち着いたとのこと。
58年の歴史・・・・
ここがジャングルだっただなんて想像もつかない・・・・
いい旅してるね、うらやましい。いつも、帰りのチケットに書かれた日を見て、あと何日、って。中南米に行くと、日本人て、いいな、と思うことありませんか?よく、アジアの大きな国の人と間違われたけど、日本人だというと急に態度が変わって、みんな親切にしてくれた。移民者たちが、苦労して、がんばって、まじめにやってきた証だと聞いたことがある。日本にいたら、絶対に気がつかないような、いろいろなことがあるんでしょうね。たくさん吸収して、無事に帰ったら、多くの人にこの経験を伝えてください。何時間でも話を聞いてみたい、、うらやましすぎる。
返信削除tanakaさん
返信削除ホントいい旅になってます。だいずハッピー。
確かにみんなに親切にしてもらってます。移民の皆さんのお陰といわれれば、なるほど!!と思いますね。
でも実際、他の国の人たちと扱いが違うのかは分かりませんけどね。どうなんでしょう?
日本からこんなに遠く離れた所に日本があるなんて!驚きと共に感動しています。
日本人スゲー!!