アコンカグアに単独登頂した青年の話の中で、ボリビアでは6千メートル級の山に簡単に登れるという話が出た。
簡単と言われるゆえんは、費用と日数。
例えばアフリカのキリマンジャロ(5895m)だと、入山料やらツアー代金やらで10万円はかかるらしい。そして、1000メートル毎に1泊しなければならないとの事で、5泊ほどかかるのだそうだ。
ワイナポトシはと言えば、
私の場合、ツアー代金と入山料で7千円ほど。(入山料はなんと10ボリ およそ100円)
そして、1泊2日で町まで帰ってこれるとのこと。ラパスがもうすでに3600mだからね。
これは簡単だ!!
しかも、私のようなド素人が挑戦してもいい山なんだってさ。
彼からワイナポトシの話を聞いた時、単純に登りたいと思った。
彼が語った、「登山の時にしか味わえない心がヒリヒリするような、生きている実感」とやらを私も体験してみたいと思ったんだ。
私はワクワクした。そして、見知らぬ山のてっぺんに立っている私が見えていた。
さて、
あれから一月が過ぎ、私はボリビアに入りました。
アレキパの宿で出会ったヤス君と 「タイミングがあえば一緒に登りましょ」 という話をしていて、彼より1週間ほど早くラパス入りしていた私は、彼の到着を待っていた。
私は、ヤス君と登ろうと最初から決めていたのだ。
この山登りツアー、ガイドひとりに対して、お客は2人までと決まっている。
もちろん、ガイドと自分のマンツーマンで登ることも可能である。
料金は多少高くつくけど、その分、自分のペースで登山できるのが良い。本気で登頂したいなら、マンツーマンで行くのが最善だと聞いた。
だってね、
ワイナポトシの登頂率は50パーセントほどなんだって。(日本人だと25%ほどになる)
2人で登ると、ひとりはリタイアする可能性があるでしょ・・・。てことは、リタイアの人を連れ
て帰らなきゃならない。
ここで待っとけなんて言われたら、寒くて凍えちゃうからね。
そしたら、まだ大丈夫な人を頂上へ連れてってくれる人がいない。ってことが起こるんだ。
同じツアーで別の組があれば、うまい具合に組なおして、登山を続けることができる。って聞いたけ
ど、実際そんなうまい具合に組み直せる可能性は、ほぼ無いだろう・・・と感じました。
つまり、リタイアするとかしないとか、ペア組んだらその決断を共有しなきゃならないんだ。
相手に迷惑かけたくないし、かけられたくもないでしょ。
なかなか難しいんだよね。
こんな説明で分かるかな?
さてさて、いよいよツアースタートだよ。
ラパスから車で1.5時間ほどでベースキャンプに到着。ここで、すでに4800mの高さ。
ベテランガイドのミゲルさんがお昼ご飯を作ってくれます。
ハンバーグ美味しかった!!
ご飯を頂いたら、ハイキャンプへ向けて2時間くらいトレッキング。
時折、雨が降った。
荷物があるから結構キツイ。
すでにワイナポトシに挑戦してきた女の子の話を聞くと、この時の荷物が持ちきらんからポーターを頼んだ方がいいよ!!とのこと。ガイドさんが100ボリとか50ボリとかで荷物持ってあげるというから、迷わず持ってもらったらしいけど、私は自分で担いでゴールできた!!!一緒のツアーの女の子も自分で背負ってたよ。
スキーの時みたいなプラスッチックな靴、コレがかなり重いのだ。それから、アイゼンにピッケル?足に巻く雪よけみたいなやつと、命綱を巻くベルトに、結局かぶらなかったヘルメット。それから、寝袋ひとつ。
ざっと10キロくらい。自分で買ってきた水とチョコレートも入れて。
ハイキャンプ到着。5130m
ミゲルのスピードに食らいついて歩いたけど、ついて行けなかったな。
少し遅れて到着したら、1.5時間位で到着したらしく、早い!!強い!!って褒められました。
山小屋の台所
これはトイレ。
小屋から数十メートル下った所にあります。トイレに行って帰ってくるだけで息があがる・・・
ハイキャンプに到着したら、温かい飲み物とパンとクラッカーのおやつを頂きました。午後2時過ぎです。
おやつ食べたら夕食まで2階の部屋で寝る・・・
まぁ、寝れやしないんだけどね。
標高高いと、いろんな症状出るんだってさ。
眠れないとか、お腹ゆるくなるとか、消化が悪くなるとか、消化を助ける為にガスが沢山出るとか、食欲も無くなるとか・・・・あと高山病になると、頭痛、吐き気、倦怠感ってな感じね。酷くなると、肺だかなんだかに水が溜まったりして、意識も無くなって死んじゃうんだってね。
この時点では元気いっぱいな私。
チャカルタヤスキー場の5500mで結構歩けたからね、余裕こいてました。
はい。
晩ご飯。午後5時半くらいだったでしょうか?
美味しそうでしょ!!
美味しかったですよ。山のご飯だから、期待はできないって思ってたけどね、いいお味でした。
他のツアーで行った女の子の話しだと、具なしのインスタントラーメンが出た・・・・って聞いてたけど、ホラ、コレ!野菜もお肉もたっぷり。あったまる~
ツアー仲間。日本人4人チーム。2人づつペア組んで登ります。
夕食の後は、出発まで寝る。
まあ、寝れやしません。
寝袋に包まって、静かに時を過ごします。
午前0時までに4回もトイレに行きました。 コカ茶をたくさん飲んでこまめにトイレに行くのが高山病の予防になると聞いたので、真面目にコカ茶飲んで、ちゃんとトイレも行きました。
レンタル寝袋はダウンで上等だったけど、やっぱり寒かったなぁ。
クスコで頂いた、ほっかいろ も貼り付けてたんだけどねぇ。眠るにはもう少し暖かい方がいいね。
うつらうつらし始めた頃、起床の声がかかりました。
午前0時
装備を整えて、温かいお茶とクラッカーなどの軽食をとってアタック開始との話でしたが、お茶飲んでる暇もないくらいバタバタ・・・・
他のツアーの人たちがみんな出発してもなお、準備してる日本人チーム。
1時には出発しないと・・・・焦る焦る。
結局1時5分 ハイキャンプスタートです。
月明かりに照らされて・・・・ アタック開始。ほぼ満月。いい夜でした。
スタート。ここから歩き始める。いきなり急な上り。
フラフラ・・・・
一歩で息が上がる。なんでだ?お腹空いてんのか?ここまだ5130mでしょ!?オカシイなぁ・・・慣れない履物にも四苦八苦。
ヤバイ・・・焦る。
しまいには足元おぼつかなくて、コケル。
歩き始めて30分も経たないうちに、ミゲルに、、「あなたは疲れている、もうハイキャンプに帰った方がいい・・・」と言われてしまった。
冗談じゃないわよ!!まだ丘ひとつ超えてないのに、なんでこんな所でリタイアしなきゃなんないのよ!!ってムカつきました。
歩き始めて、登頂できそうな気はしなかったから、このままヤス君と歩いて行くのはマズイかも・・・とは考えたけどね。でも、ここで、リタイアは無いでしょ!?もうちょっと行くわよ!! っていうのが正直な気持ちだった。
一緒にスタートした仲間は、もう見えないくらい後ろを歩いているようだった。
私も、ヤス君と別れて、ゆっくり時間いっぱい後続の彼等と歩いた方が無難だと思ったけど・・・この状況で3人目を繋げるのかも分からなかったし・・・
とりあえず、行ける所まで行こう!!ということで歩き続けた。
とにかくキツイ。写真撮る余裕なんて当然無いんだけど、この1枚。
ヤス君が手が冷たくて感覚が無い、ヤバイ・・・・って言ってミゲルに手をパンパン叩いてもらってる隙にパシャリ。
山の間、遠くに見えるラパスの町の明かり。小波のように揺れて見えてた。なんだかとてもキレイだった。当たり前の人々の生活を遠くに眺めながら、なんで私はこんな所でハアハア言ってんだ?って訳分かんなかったしね。
歩きながら、ナニを思うんだろう?って思っていたけど、実際ナニも考えられやしなかった。
ただ、ハアハアと息をしていることだけが実感としてあった。
一歩足を出すだけで、息が上がるんだ。
5歩くらい歩くと、うーと唸り、10歩も歩いたら立ち止まらずにはおれない苦しさだった。体中で息をしてた。
いつの頃からか、吹雪いていた。
顔が冷たい。鼻水もたれっ放し・・・
途中何度もミゲルに、「あなたは疲れている、帰るか?」と聞かれた。
私は、ギリギリだった。
だけど、「リタイアするか?もう無理だろ?」みたいなことを言われる度に、腹がたった。
吹雪の中、斜面を登る。10歩も歩けなくなっていた。
5歩で立ち止まる。
ミゲルに命綱をグイグイっと引っ張られる。
「ちょっと待てよ、歩けねぇーんだよ!!」って日本語でぶちまける。
私には、もうこれっぽっちの余裕も無かった。
途中、聞いていたのよりうんと急な壁をよじ登った。
「こんなの登れねぇーよ、怖いよ!!」って また怒ってた。余裕がないと私は怒るんだな・・・
だったら、ここでリタイアするしかないんだ。リタイアすればいいんだ。
それだけのこと。
好き好んでこのツアーに申し込んでるんだ。止めるのも自由だ。なんでわざわざこんなしんどいことやってんだ?
ドMか?
なんだこれ?意味分かんない・・・・
私の頭はナニをどう考えていいのか分からず、ただ足を一歩前に出すことだけが無意識のうちに、繰り返されていた。
大きく息をするリズムの中でありがとうございますと唱えながら歩いた。
ありがとう、ありがとう、とナニに対してかも分からず感謝の気持ちを捧げ続けた。
辺りはまだ闇の中だった。
まあるい月は雲に隠れ、みぞれ交じりの冷たい風が吹き付けている。
ミゲルがまた尋ねた。
「まだ行けるか?登頂を目指すなら、下山の体力が残ってなきゃならない。あなたは疲れている・・・もう帰るか?体力が無いなら、ここで終わりだ・・・・」
たぶんそう言ったんだと思う。ごもっともな話である。
私には、最初から体力なんてなかっただろう。どうやってここまで来たのかも分からない。
ここで終わりでかまわない。
ってか、ここどこだ?今何時なんだ? 第一、登頂できるの?時間、間に合うわけ?
頂上には遅くとも7時までに辿り着いてなきゃならないんだって。
朝になって陽がでて暖かくなると、雪崩が起きたりするから危ないんだって。
ミゲルは時計を見て頷いた。
たしか、5800か5900mと言われたような気がするんだけど・・・・定かじゃないね。
頂上はあそこだ、と指さされた辺りに、先を行く挑戦者のヘッドライトの明りが揺れるのが見えた。
その明りが随分遠くに見えて、もうあそこまで登ってく力は無いべ・・・と思った。
とにかく息が苦しいんだ。一歩がとっても苦しいんだ。
私は遥か上に揺れるライトをぼんやり眺めながら、ただただ息をしていた。
「バモス(行くぞ)・・・・」 ヤス君が呟いた。
彼もクタクタなんだろう。小さな声だけど、とても力強い声が聞こえた。
私は、反射的に足を一歩前に踏み出していた。ホントナニも考えてはいなかった。
ただ、「バモス」って聞こえたから、あぁ~行くんだ・・・・と思ったんだと思う。
私から、「リタイア」と口にすることは出来なかった。言っちゃいけないと思ってた。
ダメな時は、時間切れか、ヤス君がリタイア、と言う時しかない。そう思っていた。
だけど、
私は始まった瞬間から、ずっと、いつも、もう止めたいって思ってたんだ。そんなんで、よくここまで
歩いてこれたよなぁ・・・って思う。ホント不思議だ。
ヤス君はいつも前向きに頂上を目指していた。
私がフラフラで、しょっちゅう立ち止まっていても、「大丈夫!!行ける所まで行きましょう!!」
って励ましてくれてた。
もし、ホントに私が歩けなくなったら、「その時は一緒にリタイアしましょ、全然大丈夫です」って安心させてもくれた。
「バモス」
その小さな力強い声が、私の足を一歩前に出した。 ミゲルもなにも言わず、歩き始めた。
「ここ登って、そこ曲がって、つーっと行けば、たぶん頂上ですよ!!もう少し、がんばって!!」
ヤス君が言う。
そうかも知れないけど・・・この一歩がめちゃめちゃキツイんだよね。
よしよし、がんばって登るべ!!あとちょっと。
空が白んでいた。
急な上りをエッチラ登った。
稜線に出た。長い稜線だ。
登頂して折り返してくる欧米人と2,3組すれ違った。道を譲ってくれる。
もう頂上は見えている。
っていうか、もうここが頂上でいいじゃないか?ってくらいの峰を、細い細い峰を少しづつ歩いた。
もう、お日様が顔を出してる。
私たちは間に合った・・・・・
登頂!!!!!
6088m ワイナポトシ てっぺん立ったどぉ~
頂上に辿り着いたとき、涙が溢れた。
それは、嬉しいとか、感動~なんていうはっきりとした感情じゃない。
なにを思っていたのかも記憶に無い。
ただお日様は息をのむほど美しかった。
しばらくして、ほっとしている自分に気づいた。
もう登らなくていいんだって思ったら、そのことは嬉しかったんだと思う。
時間ギリギリに登頂した私たちにゆっくり過ごしてる暇はなかった。
3人で抱き合って喜んだ。
そして、
さぁ降りるぞって・・・・
ミゲルが、下山の様子の写真を撮ってくれるとのことで、ヤス君のカメラを託しました。
てっぺんからの風景。6088mからの景色 ズミ!!!
これが噂の稜線。尾根尾根。怖すぎるでしょ・・・・
コレが100メートルか、もうちょっと長いかくらい続くのよ。
私、高い所ダメだから、マチュピチュのバックのワイナピチュに登らなかったくらいなんだからね。
怖い~怖い~ってグズグズ言ってたら、ミゲルが「僕がいるから大丈夫!この綱あるから大丈夫」って。
ホントそうなんだよね。ミゲルが綱持ってくれてるから、ってそれだけで歩けた。まぁ歩かなきゃどうしようもないって事でもあるんだけどさ。
これも結構な斜面なんだよ。
登ってる時は、暗くて吹雪いてて、余裕もないから景色なんてちっとも分からなかったけど、
スゲーキレイじゃん!!雪山。
あちこちにクレバスっていう?穴ッぽこもたくさんあるし。足跡の道を見ると、クレバスのこんなギリギリ歩いてたんだ~って所もあったな。
コレは壁よじ登ったって所。こうやって見ると、そんな傾斜じゃないようにも見えるけど、ほぼ垂直な勢いに感じてたよ。
登山の説明聞いた時に、45度の斜面を登りますって言われてたけど、やっぱもっと急に感じる。
我らの鳥取砂丘と同じくらいかな?
はい。
2,3時間で下山だったんでしょうか?時計も見ないので分かりません。
登りはおそらく6時間だったと思います。
本気で登頂したかったら、マンツーマンで登った方が良いよ
って聞いてたけど、私は独りで登ってたら、登頂できなかったんじゃないかな?って考えてる。
誰に遠慮もなく止めるって言ってたかも知れないって思うんだ。
前向きに、穏やかに頂上を目指すヤスクンと一緒だったから登れたような気がしています。
それに、水を入れたリュックが重くて、ヤス君が途中からずっと代わりに背負ってくれてたしね。
登り終えて・・・
「心がヒリヒリするような生きてる実感」 とやら・・・・
それはどんな感じなんだろう?
私は、ただ息することだけが精一杯。ホント辛くて辛くて・・・生きてることを実感する気持ちでは無かった。
とてもそんな余裕は無かったんだな。
歩いている時は、全てのことが通り過ぎてくような感覚だった。
思ったことも、感じたことも、考えたことも、全てが一瞬で過去になってしまうような感じ。
つまり、今、実感できることは息が苦しいってことだけだったような気がする。
立ち止まって、呼吸が整うと、頭がちゃんと考えたり、理性的な振る舞いが出来たりもするんだけ
ど、ハアハア体中で息してる時は、完全に無礼者だったね、本性がバレて恥ずかしいけど・・・。
今になって思えば、
息してる、歩いてる、っていうその瞬間に生きてる実感はあったのかも知れない。
って言うか、
その苦しさこそが、生きてる実感なのか?
辛い、苦しい、止めたい、でも諦めちゃいけない・・・・がんばれわたし!!終始こんな感じだったかな。
うん
途中で諦めなくて、時間切れにもならなくて、てっぺん立てた。
私には無理だよ・・・・なんて思うことはホントにナニもないのかも知れない。って本気で思えるね。
これからも、なんでも挑戦してみたら、もしかして達成できることが沢山あるのかも知れない。
そう、
とにかくやってみよう!!
素晴らしい出会いがそこにあるハズだからよ。
努力が必ずしも報われるとは思えないけど、諦めてたらなにも始まらないからね。
いや~ホント良かった。
挑戦して良かった。登頂までできて言うことないわ。
どうもありがとう。
みんなみんなありがとう☆
ガイドのミゲル
前歯に☆光らせてるミゲル
この星入れるのに10万円くらいかけてるらしいよ・・・
ガイド~儲かってんな!!
はい。
最後まで付き合ってくれてどうもありがとう。超長かったでしょ・・・
すごい!すばらしい!読んでいて、ウルッときました。私もプチ冒険が好きなので、何か引き付けられました。ジャングルに飽きたら、いつかは山、と思ってましたが、このブログを読んで、そのタイミングが来たような気がします。気力、体力、すばらしいとしか言いようが無いですね。
返信削除高度順応ができていたのが大きいですね。いきなり行っても、山に受け入れてもらえないけど、三国を回っているうちに体がなれたのでしょう。うらやましい!日本中の”山男”たちが歯軋りしてますよ。予定外でレンタル装備で登ってしまうなんて!
いろいろな出会いがあって、山に引き付けられて、”いい旅”になってますね。このブログ、最高です。帰国してからで、かまいませんので、この山の経験を詳しく聞けたらと思います。できればブログだけで終わらせず、回顧録のような形で読んでみたいですね。
tanakaさん
返信削除いつもありがとうございます。
それにしても褒めすぎですね!!嬉しいですけど調子にのってしまいますでしょう。
確かに高度順応は出来ていたようですね。みんな高山病の予防薬を飲んでいたけど、私は飲まずにいて平気でした。
もうひとりの男の人は高山病の症状がでて、意識もトビトビで下山したようでしたし。
3500メートルくらいの所に長いこと居るられたおかげでしょうね。ラッキーでした。
はい。お陰さまでいい旅になってます。 山の経験だなんて語れるほどのものではありませんが、調子こいてお話したいと思います。
回顧録のような形がどんなものだか分かりませんが、「ブログ、最高」とか言われて有頂天です。読んでみたいと言われるのはホントに嬉しいです。
最高です!!
褒めすぎ? いえいえ、そんなことありません。どんな有名人が書いた小説より、本人が体験した実話が一番です。これを、もっと若い人に見てもらって、奮起してくれたらいいですね。町で遊んでいる若者たちにみてもらいたい!携帯電話いじって、カラオケ行って、居酒屋いって、、、さびしいぞ。
返信削除蛇口をひねれば水が出る、お湯が出る、飲みたいときに水道で飲める、日本にいたら当たり前のことが、南米ではまったく違うことを、感じてもらいたい。価値観を見直すために、このブログをみて、いつかは、南米に行ってみたいという若者が現れたらいいですね。
私の人生、残りを数えた方が早いかな?でもね、死ぬときには、最後にいい人生だった、って言って死ぬのが夢なんですよ。だから、このブログを見ると、引きつけられるんです。
tanakaさん
返信削除引きつけられると言ってくれる人がひとりでも居るんだ、と思うと嬉しいですね。
私の旅が、誰かの価値観に影響するなんて夢にも思っていなかったけど・・・・
実際私も、誰かの話や、読んだ本から、憧れ、嫉妬し、奮起するというようなことがよくありますから。
きっかけはいくらでもあるんですよね。それを、やるかやらないか・・・ってことだけ。
ほんの少し勇気があれば、人生はうんとオモシロくなる。
そんなチャンスにたくさん恵まれた私は、ホント幸せです。
それから、町で遊ぶのも・・・・私もさんざん遊びました。
そういう時を経て今があるのだと思います。必要なことが、必要な時に起こっていた・・・
そう思います。