モンテーロからトゥルフィーに乗って1時間半くらいだったでしょうか?
12ボリでヤパカニって町まで。
そこで、乗り換えてサンファンまで10分くらいかな?5ボリ。
ヤパカニって・・・・
私がブロッケオで29時間も足止め食らってた町だった。
サンファンがこんな所にあるって知っていたら・・・
ブロッケオがヤパカニって町だと知っていたら・・・
さくっとサンファンを訪ねていたことでしょうねぇ。
そしたら、バジェグランデにも行ってみるつもりになっていたかも知れませね。
知らないということは、まったく無駄の多いことです。
さてさて、サンファンです。
コチラも、日本人移住地なのだ!!
サンタクルス近郊には2つの日本村があるのです。
サンファンは日本全国からの移住者が作った町です。九州出身の方が多いようでしたが、鳥取からの移住者もいらしゃるようでした。会えなかったけどね。
最初は20世帯ほどの移住から始まったそうです。
全国から集まってきた見知らぬ者同士が兄弟、家族のように助け合って、仲良く暮らしてきたのだそうです。
サンファンについてもまったく情報がなく、とりあえず行ってみるべ!!という感じでしたので、
まずは宿探しです。
サンファンも日系人の方が歩いている姿は見えません。
ボリビア人のみなさんがやたら親切で、いろいろ教えてくれたのでした。
あそこに、日本人が居るよ、行ってごらん と商店に案内してくれました。
そこには笑顔のステキな気さくなおじさんが座っていました。
「まぁ座りなさいよ・・・」って冷えたメロンを出してくれた。
「宿探してるんですけど・・・安宿は・・・」って話しているところに、日本人青年が入って来ました。
彼は協力隊でサンファンに来て、先生の仕事に就いているとのこと。
「ホテル何軒かあるので、案内しますよ」と連れてってくれた。
1軒は10ドルくらいして、高いって断って、もう一軒はやってるんだか閉まってるんだか分からないのでやめて、
メインストリート沿いの安いけど、いまいち・・・・なお宿に30ボリで落ち着きました。300円くらいです。
シャワーがあんまりにも酷かったので、うーんって言ってたら、先生が自分の下宿のシャワーを使わせてもらえるように頼んであげる、って案内してくれました。
まったく親切な人です。
その下宿に行く途中、肉焼いて食べてる日系人のパーテーにお呼ばれ。
先生は親しい間柄なのだ。私ははじめまして~と言ってかんぱ~い!!
まったく遠慮を知らない私なのです。
ちびっ子たちは先生の教え子でもある。
水掛祭り絶好調なのだ!!
見知らぬ私には、誰も水をかけなかったんだけど・・・・
お母さんたちが、かけろかけろって合図して、
ちびっ子どもがスプレーだの水だのビショビショになるまで一斉にかけ出したのです。
キャーって言っちゃうでしょ。みんな笑って喜んでいます。
この祭り・・・どうなんでしょう?
まぁ ここは暑いからね、水かかっても、びしょ濡れてもなんてこと無いけど、ラパスでも同じ事やってるのかと思うと凍える気持ちになるね。
そして、パレードも始まりました。
昨日、サンタクルスの見てきたところだから・・・・
サンファンのパレードは実に庶民的でこじんまりとして親しみを感じますね。
青空の下のパレードもいいね。
手作り感満載の山車 ちびっ子レイナ(女王様)も乗ってるよ。
屋根から水風船攻撃
コレも山車か?!男なのか女なんだか?微妙だよね・・・・
サンタクルスのは立派でウォ~って見てたけど、こういう素朴なのが なんだか好きです。
このパレード、数チーム出ていたのだけど、ボリビア人だけだったね。日系人はこういうのしないんだってさ。
なんでかね?
私は、最初に行った商店でおしゃべりしながら、パレードも見物していました。
商店のお母さんが、「コレ食べてください」って。マハオっていうボリビア料理。頂きました。
美味しかったです。正式なマハオは目玉焼きがのってて、鴨肉なんだってさ。
そんでね、ここの商店には日本のがいっぱいでした。
柿の種・・・およそ400円也
高級お菓子でしょう!!
日本のものは何でも高級だった。
大抵のものはブラジルから輸入してるんだってさ。ブラジルで作ってんのかな?
それから、韓国のお菓子もあったな。
この商店、1日に約10万円くらい売れるんだってさ。スゴイね!!商店だよ!ボリビアだよ!
ご飯食べて、ジュース飲んで、タバコ吸って・・・って店の物、自分でも消費するでしょ・・・
そんでクーラーも1日中かかってるし、なにやかにや引いてってすると、1日、1万円前後の純利益になるんだってさ。
なんで、そんなに引かれるのかな?
よくわからないけど、スゴイね!!
ここのおじさん、豪快、太っ腹なのだ。いろんなこと話して聞かせてくれるよ。
農業と、プールの施設と、宴会とかできるレストランとを倒産させて、今は商店やってるんだってさ。
倒産っていってもすっからかんになる前に手を打って、次の商売に繋げているんだから、ホントの倒産じゃないよね。
おじさん、9歳の時にサンファンに来たんだって。
「まだ子どもだったから、とっても楽しかった」 って言うんだ。
オキナワと同じ様にジャングルだったて。みんなで少しずつ切り開いていったんだって。
大変だなんて思ったこと無いよ いつも楽しかった・・・おじさんは何度もそう言った。
最初の1年くらいは少しばかりひもじかったかも知れないけど、サンファンでは食べる物はたくさんあったそうだ。
豚はつがいで飼っておけば、10日に1回でも1週間に1回でも、つぶして食べることができたし、
バナナやパパイヤはいくらでも生っていたって。
そこら辺の水溜りには魚がいくらでもいて、糸を垂らせば、ひょいひょい釣れたんだとか。
ホントに楽しそうに、楽しかった話しをしている。
日本に居た子どもの頃も、ボリビアに来てからの50年も
いつも楽しかった って。
いいね。いつも楽しいって。
昼間っからお邪魔してて、
夜のビールまで。
人柄は良いのだが45歳で独身 の男性を紹介するから、サンファンに移住したらどうか?
良い所だよと誘われました。
心が揺れます。
わかめと わかめと小魚の和え物と、豚の皮の和え物。
サンファンには何でもある。海は無いけど、アワビもサザエも入ってくるよ!!
でも、マグロの刺身に良いのが無いんだってさ。
いい感じに酔っ払っているでしょう。すっかり安心して、飲んでました。
彼らは、ホントに楽しかった、楽しかった、って話してたんだ。
また子どもの頃に戻りたいと思うこともたまにはあるという。
今は、いろいろ便利にはなったけど、その分町は汚染されているって。
もう、そこら辺で魚は釣れないし、ドブみたいな所の魚は食べられないし・・・って。
それから、
今は2時間くらいで行けるサンタクルス、昔は2日もかかっていたんだってさ。
橋が無いから、川の中突っ込んで、車故障・・・とかね。そんなんも大変だけどオモシロかったんだってさ。
古きよき時代・・・・
日本人同士、信頼して助け合って、ここまで来た。
今は少なからずボリビア人が見習っているんだって。
ボリビア人はボリビア人を信用してないんだってさ。裏切るってのは当たり前の考えなんだってさ。
そんで、ここら辺のボリビア人はとにかく肉食。野菜なんてほとんど食べないんだって。
日本から、スイカやキュウリやポンカンや、キャベツや・・・・いろいろ野菜の種も持って来ていて、作って食べていたんだけど、ボリビア人見向きもしなかったってね。
今は、付け合せ程度の野菜は食べてるけど、4,50代のボリビア人は半数以上が糖尿病になっちゃうような食生活なんだってさ。
それから、サンファンはお米が上等なんだって。
日本米の美味しいのがとれるのだそうです。オキナワの人たちも、米はサンファンのを買って食べてるんだってさ。
精米機も持って来てて、最初から真っ白なご飯を食べていたんだって。ソレを見たボリビア人が驚いていたってさ。
日本人スゴい。尊敬するわ。
おじさんは集まってきた仲間たちとポーカーを始めた。
なんせ祭りだからね。4連休2日目。
コレをやりだすと、家に帰らないから・・・泊めてあげられなくてゴメンね。 だってさ。
豪快なおじさんである。
彼の話を聞いていると、何もかもあるがままに、楽しんでいきましょう!! って気になってくる。
苦労したことも、頑張ってきたことも、微塵も感じさせない男。ステキ。
ホントに苦労なかったのか?って思っちゃうくらいだよ。
どこに居ても、ナニをやっていても、いつも楽しかった。
そんな風に言えるような今を過ごしたいものです。
サンファン
ここに来れて良かった。
どうもありがとう
南米の日本人、心が豊かだ。日本には無くなったものが、まだ、南米にはある、って感じでしょうか? ”日本には無い”わけじゃなくて、みんな忙しくて忘れてるだけだと思う。去年、津波の後、いきなり仕事休んで、東北に行った。雪と余震の続く中、公園でテント張って休んでたら、差し入れをくれた人たちがいた。遠くから助けに来てくれたのに、何も出来なくてごめんなさい、って涙流してたおばさんたちがいた。
返信削除いや~ホントに豊かでした。びっくりするくらい。
返信削除南米だなんて、こんなに遠くまで来て遊んでいるのに、私は近くの東北へは行っていません・・。
なんだか考え違えをしているようで申し訳なく思います。
ひとの優しさには思わず涙も込み上げます。困っているとなお更です。
わたしも優しい人でありたいと思います。