5.20.2012

クワレンタ イ ウノ


オラ!!

私は今、ニッポンに居るみたいなのだ。



ここは、パラグアイ 41km地点 イグアス日本人移住区なのだ。

旅のお宿はペンション園田です。有名過ぎて説明はイランでしょうけど・・・。

シウダー デル エステ とアスンシオンを結ぶ国道の41km(クワレンタ イ ウノ)地点でバスを降ります。ESSO(給油所)の反対側の石畳の道を50m程行くとあります。

シウダーデルエステからだと1時間ちょいで10,000G。
アスンシオンからだと、5時間ちょいで60,000G前後です。


ワンコが4,5匹居ります。番犬です。賢いです。


さてさて、なにからお話ししましょ!?ってくらい盛りだくさんのペン園ライフです。

ホントのこと言うと・・・・なんにもしてはいないんだけどね。


まずは、移住の歴史について少々。


パラグアイの最初の移住は77年程前に始まった。他の国と比べて遅いらしい。
ペルーなんかはもう100周年過ぎているからね。

そんで、戦争の為に空白の20年があるそうです。その間は誰も移り住んではおらんのです。

パラグアイ最初の移住地は ラ コルメナって町。そこから、ピラポだのラパスだのあちこちに広がっていった。

イグアスは最後の方の移住区でまだ50年くらいです。とのこと。

まだ!?  50年なのか・・・・長いのか短いのかよく分からん。




ここもやっぱりジャングルだったんだんって。

原生林を切り開いて、町を作った。

50年くらい前だと、最初こそのこぎりでエイサ、エイサと切り倒したけど、そのうちにいろんな機械が入ったそうだ。


今は逆に、植林してるんだってさ。





日本と同じ暮らしをしたんだね。そんで、今も日本は受け継がれているよ。
























移住資料館に連れてってもらって、お宿のお母さんに当時の様子やら、いろいろ教えてもらいました。


パラグアイに移住した皆さんは、日本でもお金持ちだった方が多いそうだ。

移住するのに、かなりの持参金が必要だったんだって。

移住の条件として、ひと家族につき4人の男手が必要で、寄せ集め家族を作って移住してきた人もいるそうです。


そうそう、イグアスには鳥取から移住された方が5世帯あるってよ。

気になるなぁ~ 知ってる人いる?


それから、今現在、移住しよう!!って来てるおねえさんが一人おる。今、手続きの真っ最中ということで、家が決まるまでペン園に滞在してます。

パラグアイでは、今もなお移住協定が生きてるのだそうだ。

ちょこちょこお話し聞くけど、私にはピンとこないんだな。

旅をして周って、たくさんの国や町を訪ねて、良い所も、ステキな所もいっぱいあったけど、やっぱり日本がいい。

私はずっと鳥取で暮らしていきたい。って思うんだ。

もし私がここへ移住したら・・・・・・・

って考えてみる。


うん。
きっと変わらずハッピーしてるだろうね。どこに居ようと、私は、わたしなんだからね。


そんでもねぇ~ 移住って大事よね。

本当オオゴトよ。

生きていくっていうことは、本当に、どういうことなんだろう・・・・









でも、ここでなら大丈夫かな!!?




いらっしゃいませー  って聞こえてくるでしょ!



ラーメンと餃子・・・・

麺はここで手作りしてるんだってさ。2週間かけて熟成?発酵?(忘れちゃった)させてるんだって。

マジ美味いよ。

お店のおばちゃん「ここには美味しいのしかないよ~」だってさ。







おしるこまで始まっちゃうんだから、なんも心配いらないでしょ!!





農協に行けば、日本のモノがいっぱい。

納豆だってあるんだよ!!



お米だって日本米なんだから、おにぎりしても美味しいのですよ。


農協の買い物袋
 毎度ありがとうございます  だよ!! ムーチャス グラシアス。



どんだけ!!




ここはパラグアイなのだ  ってことも忘れてしまいそうです。

まった~りし過ぎて、町を出るタイミングが見つかりません。






私の未来も、

あなた方の行動次第なんでしょうか?


お任せします。どうにかしてください。

どうぞよろしく。

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