オラ!!
私は今、ニッポンに居るみたいなのだ。
ここは、パラグアイ 41km地点 イグアス日本人移住区なのだ。
旅のお宿はペンション園田です。有名過ぎて説明はイランでしょうけど・・・。
シウダー デル エステ とアスンシオンを結ぶ国道の41km(クワレンタ イ ウノ)地点でバスを降ります。ESSO(給油所)の反対側の石畳の道を50m程行くとあります。
シウダーデルエステからだと1時間ちょいで10,000G。
アスンシオンからだと、5時間ちょいで60,000G前後です。
ワンコが4,5匹居ります。番犬です。賢いです。
さてさて、なにからお話ししましょ!?ってくらい盛りだくさんのペン園ライフです。
ホントのこと言うと・・・・なんにもしてはいないんだけどね。
まずは、移住の歴史について少々。
パラグアイの最初の移住は77年程前に始まった。他の国と比べて遅いらしい。
ペルーなんかはもう100周年過ぎているからね。
そんで、戦争の為に空白の20年があるそうです。その間は誰も移り住んではおらんのです。
パラグアイ最初の移住地は ラ コルメナって町。そこから、ピラポだのラパスだのあちこちに広がっていった。
イグアスは最後の方の移住区でまだ50年くらいです。とのこと。
まだ!? 50年なのか・・・・長いのか短いのかよく分からん。
ここもやっぱりジャングルだったんだんって。
原生林を切り開いて、町を作った。
50年くらい前だと、最初こそのこぎりでエイサ、エイサと切り倒したけど、そのうちにいろんな機械が入ったそうだ。
今は逆に、植林してるんだってさ。
日本と同じ暮らしをしたんだね。そんで、今も日本は受け継がれているよ。
移住資料館に連れてってもらって、お宿のお母さんに当時の様子やら、いろいろ教えてもらいました。
パラグアイに移住した皆さんは、日本でもお金持ちだった方が多いそうだ。
移住するのに、かなりの持参金が必要だったんだって。
移住の条件として、ひと家族につき4人の男手が必要で、寄せ集め家族を作って移住してきた人もいるそうです。
そうそう、イグアスには鳥取から移住された方が5世帯あるってよ。
気になるなぁ~ 知ってる人いる?
それから、今現在、移住しよう!!って来てるおねえさんが一人おる。今、手続きの真っ最中ということで、家が決まるまでペン園に滞在してます。
パラグアイでは、今もなお移住協定が生きてるのだそうだ。
ちょこちょこお話し聞くけど、私にはピンとこないんだな。
旅をして周って、たくさんの国や町を訪ねて、良い所も、ステキな所もいっぱいあったけど、やっぱり日本がいい。
私はずっと鳥取で暮らしていきたい。って思うんだ。
もし私がここへ移住したら・・・・・・・
って考えてみる。
うん。
きっと変わらずハッピーしてるだろうね。どこに居ようと、私は、わたしなんだからね。
そんでもねぇ~ 移住って大事よね。
本当オオゴトよ。
生きていくっていうことは、本当に、どういうことなんだろう・・・・
でも、ここでなら大丈夫かな!!?
いらっしゃいませー って聞こえてくるでしょ!
ラーメンと餃子・・・・
麺はここで手作りしてるんだってさ。2週間かけて熟成?発酵?(忘れちゃった)させてるんだって。
マジ美味いよ。
お店のおばちゃん「ここには美味しいのしかないよ~」だってさ。
おしるこまで始まっちゃうんだから、なんも心配いらないでしょ!!
農協に行けば、日本のモノがいっぱい。
納豆だってあるんだよ!!
お米だって日本米なんだから、おにぎりしても美味しいのですよ。
農協の買い物袋 |
どんだけ!!
ここはパラグアイなのだ ってことも忘れてしまいそうです。
まった~りし過ぎて、町を出るタイミングが見つかりません。
私の未来も、
あなた方の行動次第なんでしょうか?
お任せします。どうにかしてください。
どうぞよろしく。
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