6.19.2012

命の食べ方。

弓場を訪れて、ちょうど1週間目の土曜日、

結婚式がありました。

手作り結婚式。

という訳で、その準備がいろいろと進められておったのです。

例えば、チョコレートを作るのに、カカオからって言うのね。なんかスゴイね!!

それから、シュラスコ!!お肉ね。 BBQって感じのヤツ。 もちろん牛からってなるでしょ!!

そういうことでしょう・・・


この先、そんな写真が載っけられちゃうからね。グロイかも知れないよ。てかグロイよね。
もうお肉食べられなくなっちゃった~なんて言っちゃうかも知れない人は見ないほうがいいかもね。

そりゃあもう、身を挺しているのだからね、ハンパないよ。


私は、初めて見たんだ。

命を奪う、その瞬間を。

旅行者たちが見守る中、男たちは、慣れた様子で事を進めていった。

牛は、死なされることを、すでに知っているのでしょう。

トラックの荷台の檻のなかで、落ち着かない様子。さっきまで暴れていたらしい。
近づかないで、って注意された。
ぴりりとした空気が漂う。


牛にロープをくくりつけて、荷台からおろす。



降りたら、もう終いだ・・・

牛は、なにもかも分かっているみたいに、なかなか降りようとはしない。


人間は牛を驚かせて、外へ引っ張りだした。

木と木の間に、牛を捕らえた。





暴れる牛。頑張ってる。

だけど・・・・



人間はもう、すぐそこまで迫り来ておる。

首も絞まっているのでしょう。少しずつ弱ってきてるみたいだ。

光るナイフ。

息を呑む瞬間が訪れる。


喉元を一突き。血が噴き出す。
 
プシャー。
赤い血が噴き出すんだ。


牛は、苦しそうだった。

悲しそうだった。

さぞ恐ろしかっただろう。

恨んでいるようにも見える。

この世に未練を残しているかも知れない。


あるいは、もう観念しているだろうか?




膝をついた。

静かに横たわる。

しばらくは生きていた。

最後の力を振り絞って・・・という感じではなく、
 
命が尽きるまでに必要な時間を過ごしていた。




こんな時、何を想う?



目を覆ってはいけないのだ。

私は、凝視した。

かわいそうと思ってもいけないのだ。

私は、凝視し続けた。


牛の最後の顔をカメラに収めた。
そして、こんな風に載っけている。間違った事をしているのかも知れないね。





牛は死んだ。

結婚式のご馳走になるのだ。



解体する為に運ばれる。

水で綺麗に洗われた。

まずは、皮を剥ぐのだ。

牛革になるみたいだ。聞くところによると、この牛の量で20レアルほどらしい。およそ800円。

牛革安いなぁ・・・





骨は固い。
斧で砕き、のこぎりでギコギコやるんだ。



内臓もごっそり、綺麗に取り出された。

心臓と肝臓は別の容器にとってある。美味しく頂くために。

胃やら腸やらは、トラックに積まれてどこかへ行った。

子宮からは、赤ちゃんが出たきた。ここの牛はみんな妊娠しているんだって。赤ちゃんのいない牛はいなかった。だから、しようがなかったんだ。と聞いた。

妊娠している牛は、余計に美味しいのだそうだ。
脂がのって柔らかいんだって。

2時間ほどで、あの牛は肉になった。




私は、ずっと見ていたよ。

モーモウ啼いてた彼女が、肉になるまで。

ずっと見ていたよ。



それから、

豚が解体されるところも見学した。



豚はもうすでに死んでいた。

台の上で、キレイに毛を剃られているところだった。



カワイイ寝顔みたいだけど、もう息してないんだ。


熱湯をかけて、薄い皮を火傷させて溶かしながら、毛を剃っていくんだって。

何度も確かめながら、丹念に毛を剃っていくよ。

食べる時、毛がついていたら嫌だからね。鼻の周りや耳は剃りにくいからね、特に丁寧に、剃り残さないようにしてた。


ツルツルに剃り落としたら、内臓を取り出すのだ。

臓器を傷つけないように、お腹の中に手を入れてゆっくりと切り裂いていく。

決まり通りに切り開いていく。

まるで儀式のように。



全部繋がったまんま、ぷるるんと出てきた、豚の内臓。

こんな風になっていたのか・・・


4匹の豚。

パーテーのご馳走になったら・・・

こんな感じ・・・・



美味しそうでしょ!  不謹慎ですか?

でもね、ホントにめちゃめちゃ美味しかったんだから。




私は肉を食べる。

ちびっ子のころから、ずっと食べてる。

だって、美味しいんだもん。好きよ。

これからも、食べてく。

命をいただく。



以前インドを旅した時に聞いた話。

インドは菜食主義と肉も食べる人たちでは、レストランの食べる席が分けられてる所もあるって。

そんくらいベジタリアンは多いし、肉食を嫌っているってよ。

肉を食べない理由のひとつに、

動物が死なされる時の、恐怖や悲しみや恨みや諦めや・・・あらゆる負の感情を一緒にもらってしまうから

っていうのがある。

肉を食べることによって、動物のそういった想いが自分の中に溜まっていって、良くないと考えるらしい。


なるほど、とは思ったよ。だけど、私は肉を食べ続けてきた。

私の中にもきっと、動物たちの悲しみは溜まっているんだろう。そういうことをイメージしてみると、感じないことも無いんだ。



弓場農場で、牛の屠殺を見学した。

イメージするよりも簡単に、鮮明に、強烈に、衝撃的に・・・・

その悲しみを味わった。  と思う。


ありがとう。本当にありがとう。 
 
そんなことしか言えないけど、許してくれるだろうか。
 
 
 
これからも

命をいただきます。

貴方たちは、本当に美味しいのだ。

心を込めていただくよ。




愛を込めていただくよ。







どうもありがとう。

2 件のコメント:

  1. tanaka19/6/12

    さすがにコメントしにくいな、でも、イキトスでもいつも、肉がそのまま、”ころがっていた”っていう表現がちょうどいいかな。どこに行っても肉はそのまま売られていた。日本にいると、肉は、トレイに乗って、ラップされて、部位ごとに売られているから、意識しないけど、ちゃんと処理している人がいるんだよな。”ニオイ”が鼻につきませんか?ベレンの肉売り場の空気がまだ、頭の中に残っているよ。

    返信削除
  2. tanakaさん

    コメントしにくいですね・・・
    だけど、どうもありがとう。

    いつも当たり前に食べていたけど、こんなにも命だったんだなぁって改めて思ったんです。どう言えばいいのか分からなくて、こんなの書かない方がいいかな?とも考えたんですけど・・・
    こんな感じになっちゃいました。

    市場に行くとホント肉肉していて、ニオイも鼻につきますが、この度の解体では、ほとんどニオイは気にならなかった。
    時折、血のニオイが漂いもしたけど、気にはならない程度。
     
    手際よく、進められていく作業。
    これは、必要なことなんだ、と思う反面、命を奪う、と考えると、複雑な心境でした。

    結婚式のご馳走だったので、牛の屠殺を見学できました。
    ラッキーでした。

    返信削除